わたしはどちらかと言えば「近づきいにくい人」だと思います。
そして、わたしの友人たちも「怖そう」「一見近づきにくい」」と言われることが多い人ばかり。類は友を呼ぶってこういうことを言うんだろうな。
怖い友達の中でもトップクラスに恐れられているRさん。体格はいいけど愛想が悪く、歯に衣着せぬ物言いをズバズバするのが原因かなとわたしは睨んでいるのですが、その実、心の中はとても温かく愛に溢れている穏やかな人。
事実は述べるけれど悪口は言わないところをわたしは尊敬していて、こんな風になれたらな、と彼女と話すたびに心が引き締まります。
たとえば上司や親族が悪いことをしたとき、「何か理由があったんだろう。」とか「誰だって間違いはするものだし。」と庇ったり擁護する人は一定数いるものですが、Rさんはそんな忖度しません。
「あの人がどんな立場だろうと、あれはやってはいけないことだよね。」とバッサリ斬ります。
というか、罪を憎んで人を憎まずというのは正にこのことではないかと思うのです。
悪いことをした=上司として相応しくないというジャッジもしません。
「それを決めるのは上の人たちでしょ。わたしの仕事じゃない。」というのが彼女の意見。
犯した間違いに対してキチンと責任を負ったら、その問題はそこで終了。
いつまでも「あんな間違いをした上司の言うことを聞くなんて…」とグチグチ文句を言ったりしないのです。
むしろ「あの人の下で働くのが嫌なら辞めればいいじゃない。」と提案するぐらいの潔さがあります。
まあ、だから恐れられてしまう部分もあるのでしょうけど。
逆に、人の悩み事や心配事には寄り添ってくれます。
何年も前にわたしが悩んでいたとき、一緒に聞きながら分析をしてくれました。
そして「それは今考えなくてもいいじゃない。」「それはもう過ぎたことでしょ。」と問題をバサバサと切り捨て整理してくれます。
そして、最終的に残った問題に関しては事情をよく聞いたうえで「うん、その件はアンタは何も悪くない。」と太鼓判を押してくれるのです。
こちらの言い分に共感してくれる友人もありがたいのですが、Rさんのように整理して切り分けてくれる友も本当に貴重です。
客観的に見ることで自分の落ち度や反省点に気づきやすくなりますし、明らかに自分の非ではない部分もクリアになることで不必要に落ち込むことも避けられます。
たしかに、全面的に相手が悪いとか何もかも自分が悪いなんて、ふつうはあまり起こり得ないですよね。
わたしはそのへんのバランスを取るのがとても苦手なので、天秤のような彼女の存在がすごく支えになっています。
思うに、彼女はきっと人から嫌われることが怖くない。
だから長いものに巻かれることもないし、強い人の意見に流されることもない。
その場の空気やムードで思ってもいないことを言ったり合わせたりすることもないんだろうな。
考えてみると、彼女だけでなく他の近づきがたい友人も似た傾向があります。
自分軸をしっかり持っていると、一見怖く見えてしまうのかもしれませんね。
人によっては「共感してくれない=批判された」と感じてしまうのかも。
共感はできなくても受け止めることはできるのになぁ。
わたしは逆に、みんなから近づきやすいと称される人が苦手な場合があります。
たとえば姑がそれなんですが、当たり障りなくいつも人の意見に合わせていて、一見「近づきやすい人ね」と言われがちですが、実はただの八方美人で相手に合わせて平気で嘘をついている。そういう一面を見てしまうと怖くてとてもお近づきになりたいとは思えません。
浅い関係ならそこまで考える必要はありませんが、少し踏み込んだ関係を築きたいなと思ったら、相手の本質を見極めることは結構大事なことかもしれません。
そんなRさんから、最近また連絡が来て元気をもらいました。
わたしもこんな風に人を元気づけられる人になりたいものです。
感謝日記
メルカリが売れた。
今日も頭痛薬を飲まずに過ごせた。
おいしいコーヒー豆が手に入った。