30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

「嫌いな人の幸せを願う」の意味

「嫌な人がいなくなる方法」などの動画をよく見ます。あれこれ再生するうち気づいたのですが、「嫌いな相手の幸せを願うと、あなたの目の前から嫌いな人がいなくなります。」

という内容がすごく多い。中にはどのように願ったら良いのか具体的に教えてくれるものもあります。

わたしはこの意味がよく分かりませんでした。いや、相手の幸せを願うのはいいことだと思うんです。いくら嫌いだからと言って恨んでばかりじゃ不健康ですし何も生み出しません。でもわたしの場合、毒母の幸せ=わたしの不幸です。わたしに災難が降りかかると毒母はとても嬉しそう。それが分かっているのになぜ幸福を願うのか?

モラハラ夫も同様で、わたしを支配することが彼の幸福なのですからやはり矛盾を感じます。

 

おそらく動画を見ている他の方々も同様の気持ちなようで、「いじめっ子が幸福になると誰かが必ず不幸になる。それでも祈らなければならないのでしょうか。」というコメントもありました。

そのタイミングで見つけたのが大愚和尚のYouTubeチャンネル。「悪口や嫌がらせに対する正しい心構えと対処法」というタイトルの動画です。

職場で自分に悪口を言ってくる人への対処法を相談してきた方へ、和尚さんが「処方箋」と称してアドバイスをします。やはり相手の幸福を願うもので、和尚はこれを「慈悲の瞑想」と言っておられました。そして終盤でこう仰るのです。

「相手と同じ土俵に立たないでください。」

ここでようやく合点がいきました。相手が実際に幸せになるかどうかは関係ないし、どんな方法で幸福になるかも考えなくて良いのです。ここで言いたいのは、相手の幸せを願うことで「わたしとあなたは同レベルではない」と、精神的な立ち位置をしっかり自覚すること。自分にフォーカスしないとダメだよ、という意味なのだと理解しました。

やっぱりわたしはまだ毒親育ちの影響から抜け切れていないようです。つい自分ではなく相手のことを考えてしまう。でもそうじゃないんですよね。相手のことを祈って「自分は」どうなるかを考えなきゃいけない。

嫌いな人にも慈悲の気持ちを持つ。簡単なことではないけれど、実践できれば確かに心はグッと成長できそうですし、同レベルで争ったり復讐を目論むこともなくなるでしょう。

もっと自分のことを考え、自分の心を守ることを優先することで彼らより先に進めるのかもしれません。

そうかー、そういう意味だったのか。

 

実は自分の宗教でも似たような教えがあります。自分に敵意を向けてくる人のことを祈るように教えられます。祈るうちに相手へ愛情がわき、愛で解決できると教えていますがどうもピンと来なくて。相手じゃなく自分の中の愛を成長させるという意味だったんですね。

 

理解できたものの、実際にその域へ到達するのは簡単ではありません。和尚も「ちょっと難しい」とおっしゃっていました。

やはり物事の真理や真実というものは簡単ではないようです。コツコツ積み上げるからこそ価値があるのでしょう。

せっかく納得できたのですから、少しずつ頑張りたいと思います。

 

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