野宮真貴さんの歌声に初めて触れたのは、たしかラジオだったと思います。
地元のFMラジオ局で洋楽やインディーズを中心に流すチャンネルがあり、運転中はいつもその曲の番組を聞いていました。
そして流れてきたのが、ピチカート・ファイヴの「モナムール東京」。
タイトルに東京がつく曲では「東京は夜の七時」のほうが有名ですが、わたしはこっちのほうが好み。
なんとなくキューティーハニーのテーマに似ている気がしません?
小西康陽サウンドに触れたのもこれが初めてで、あまりのオシャレさにめちゃくちゃ衝撃受けました。
野宮さんの声は決してロック向きではないと思うのです。
それまでは、相川七瀬とかティナ・ターナー、グウェン・ステファニーといった、伸び伸びと張りのある、少し太い声がロックシンガーに多かったような気がするのですが、野宮さんは上品で品があって、どこか儚さのある透き通った歌声。
ロックのはずなのにカラオケで歌っても今一つ盛り上がりに欠ける不思議さがありました(笑)。
ファッションだって、他のロックシンガーとは全然違う。
モナムール東京の頃は、60~70年代のクレージュみたいな、ボックス型のミニ丈ワンピをよく着ていた印象があります。
イギリスのファッションモデル、ツィギーを思わせるような細長い手足にミニ丈ワンピ、毛先をくるんとさせたお人形のようなボブがもう、可愛いのなんのって。
もともと60年代のレトロファッションが好きだったので、もうすっかり虜です。
カラフルでポップな幾何学模様のスカートや太めのヘアバンドに憧れていましたが、いかんせん体型が別の生き物のように違うので真似をするのはやめました。
野宮真貴さんのスレンダーボディは61歳の今もキープされているのだから驚きです。
歌声も昔のまま、やさしくてほのかな色気の漂う素敵ヴォイス。
おしゃれも健在で、仕立ての良い深緑のツイードのスーツに大き目のパールネックレスとおそろいのブレスレットを合わせた写真がネットに出ていました。
最近はストレスをかけないゆるファッションが王道ですが、そんなものには目もくれず、たくさんのスーツをバシッと着こなす様はさすがの一言。
わたしが最後にスーツを着たのはいつのことだろう…。
そんな彼女のブログには「10歳若く、身長が2センチ高く、ウエストが5センチ細く見える方法」という記事があります。
本文はとてもシンプル。
「背筋を伸ばし、アゴを引き、まっすぐ立ち、前を見ましょう。美しさは姿勢から始まります。」
はい、まったくその通りです。返す言葉もございません。
姿勢からスタートさせるためにも、やはり食事と運動には気を遣わないとダメだということですね。
野宮さんの魅力的な生き様は各媒体でよく扱われているのですが、どこかのインタビューで「歌とおしゃれがだいすきなまま還暦を迎えた。」と仰っていました。
「素敵な服を着て華やかなステージで歌うことが私のやりたいことだし、それが私が一番うまくできることなんです。わたしよりおしゃれな人もいるし、歌の上手い人もいます。でも、わたしは人に夢を与えるスターに憧れていたんでしょうね。」
こう言えるのって、いいなあ。
「自分がいちばんうまくできること」を分かってるって、素晴らしいことだと思います。
あくまで自分軸なんです。「この中でわたしが一番オシャレで一番歌が上手い」わけではないのがポイント。
毒親育ちはなかなかそう考えられません。
わたしのピアノ演奏を誰かが褒めてくれても、すぐ毒母が「世の中にはもっと上手な人がたくさんいる!アンタなんか上手くもなんともない!」と𠮟りつける日々でしたから。
そういうことではないんですよね。
今の自分の実力でいちばん上手に弾ける曲を褒めてもらえたら、それをありがたく受け止めればいいだけのことです。他の人と比べてもどうしようもありません。
野宮さんだってスーツや渋谷系ファッションはものすごくオシャレでお似合いだけど、ビンテージジーンズを履きこなせるかと言われたら、ちょっと微妙だと思います。
でも、敢えてそこを突っ込む人はいないしそんなことする必要はないんです。
そうやって「好き」を貫く姿勢が、今も素敵な野宮真貴さんを作り上げているんじゃないかなぁ。
ロックな世界で生きているとはいえ、それでも強く個性が輝いている方ですから、きっと背後には妬みや嫌味ややっかみが常にうろついているんだろうなと思います。
「無難な方は選ばない」と言い切っているくらいですから、もうそういうネガティブなものは収束せず共存すると諦めているのかもしれません。
たぶん、他人に何をどう言われようと好きなものは好きなのでしょう。
わたしにもそれくらい強く貫けるものがあるだろうか。
ちょっと考えてみたいと思います。
感謝日記
連絡をシャットアウトしてしっかり休養を取れた。
お風呂にもゆっくり浸かれた。
ぐっすり眠れた。