30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

可視化されないモチベーション

先日聞きに行った説法が自分的に良かったのでメモ。

 

自分の行動のモチベーションを知るというテーマで、話し手はこう切り出しました。

「信者の方々が宗教活動に熱心なのは素晴らしいことです。ですが、大事なのはモチベーション、動機であることを忘れてはいけません。」

うちの宗教の大半は平信徒ですが、中にはより一層布教に力を入れるため合宿に参加する人や、本部に通ってスキルを無償で提供するワンランク上の信者さんもおり、組織内では立派な存在として一目置かれています。

側から見れば宗教に入れ込んでいる熱心な信者と映るのでしょうけど、その実、中身は違ったりするのもよくある話。

周りの信者と差をつけたい、すごいと思われたい、ステイタスが欲しい、目立ちたい…などなど、案外ミーハー気質で参加している人もかなりの割合を占めているのです。その証拠に、人目につかない部分で手抜きをしたり、上層部と平信徒で態度を変えたり。純粋な信仰を持っていたら、まずそういう部分から真面目に取り組むはずですよね。話してはそこにメスを入れたわけです。

そしてこう続けました。

「自分にも見えない、心の奥の隠れた本音を知るためには自分と向き合わなければなりません。」

あ、そういうことかと、ここで目から鱗が落ちました。

どこからどうみてもただの目立ちたがりが、平気な顔して「神様に全身全霊でお仕えして幸せです!」などとデカい口を堂々と叩く人を見るたび呆れていましたが、何のことはない、そういう人は自分と向き合えていないだけなんですね。

 

エクスプレッシブライティングや自己省察を何度も何度も繰り返し、やっと少しだけ自分と向き合えるようになったわたし。自分の価値観や、ありのままの自分と向き合うって簡単ではありません。

でも、自分の中の人見知りな部分や隠キャな一面を受け入れるようになってからかなり楽になりました。そして、虚勢を張って組織で活躍するのは無意味だと悟ったわけです。

 

愛すること、許すこと、自分の存在価値。これらをゆっくりゆっくり、階段を一段ずつ踏み締めて登るように積み上げるのが大事。

そして、1年前まではイラっときていた他人のミスを気づけば大きな心で受け止められるようになったりして、神さまの視点に少し近づけたのかなと思うわけです。

仏の道を極めた僧侶のように、食事やライフスタイルをもっと徹底して自分を高めたいと思ったときに次のステップへ進むのが宗教として正しい道の進み方なのかなと。

 

自分と向き合うって生きる上でかなり大切な作業なのだなと気づかされました。

わたしも常に自分の心の奥を見据えるようにしたいものです。