30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

フラつく

若い頃は世間知らずで無鉄砲で猪突猛進だったわたし。

ある意味信念を持って何事も突き進んでいたように思えます。

脇目も振らず、一心に。

でも、だんだん世の中が見えてきて、常に正義が勝つわけではないことや、正論を降りかざす教祖や幹部や仕事の上司が陰で隠し事をしていることを知るようになります。

どんなに腹を立てても誰も味方にならないし、見て見ぬふりをするだけ。

 

そんなことを経ていくうち、あの頃のひたむきさがだんだん無くなってきました。

 

きっと誰しもがそうなのだろうと思います。

真剣に生きるとバカを見るから、意見や主張なんか持たない方がいい。

長いものに巻かれて、なんとなく強そうな側について自分の安全と安定を保てればそれでいい。

でもあわよくば、リスクを取らずに少し優秀になって目立ちたい。

 

わたしも親が毒親と受け止めるまでの数年間をそのように過ごしました。というか、自分の過去と向き合うことに全エネルギーを注いでいたため他がなおざりになっていたのだと思います。

 

でもここへきて、再び何かに集中したい感情が心の奥から少しずつ湧いてきています。

人生を賭けたいと思えるような何か。

 

とはいえ昔ほど自分の宗教をピュアに信じているかというとそうでもないし、かと言って全否定できるほどの理由もない。

科学を信じたい気持ちもあるけれど、まだ解明されていない点もかなりあるのでどこまで信じられるかがあやふや。

宗教とまではいかない、いわゆる日本で言うスピリチュアルの世界も意見や信念の土台がまだ固まっていないように見えます。

 

全てがあやふやならそれぞれのいいとこ取りをすればいいんじゃないかと、動画や書籍でちょっとずつつまみ食いしてみました。が、これはダメですね。かえって軸がブレる結果となってしまいました。

悩んでいることについて様々な考え方を試してみたけれど、自分で「これ!」と決めなければすぐフラついて答えが定まらないんです。結果、いつまでもダラダラ悩み続けてしまい余計なストレスが増すばかり。

 

やはりどこかでしっかり軸を整えることが大切なんですね。宗教であれ科学であれスピリチュアルであれ、信じ抜いて行動に移すのが大事。

 

こう考えると、信じるってけっこう難しいことかもしれません。盲信は簡単だけど、それだと軸がない。

地に足をつけた考え方を心がけたいと思います。

 

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