子どもの頃、親の転勤で田舎町に数年住んでいました。
隣にはさらに何もない田舎町。わたしはその何もない隣の田舎が好きでした。
海はあるけれど遊泳禁止。かと言って漁業が盛んなわけでもない。
新しいものは何もなく、人も物も一緒に年を取っていくようなそんな町。
父親が収入のほとんどを飲み代に注ぎ込んでいたため家計はいつも火の車で、娯楽にかける余裕がなかった我が家。子どものために時間を割くという感覚のない父親の代わりに、毒母がよくその泳げない海へわたしを連れて行ってくれました。
「どこか行きたいって言うから連れてきてやったよ。」
そう言って、鉛色の海でしばらくわたしを遊ばせるのが主な休日の過ごし方。
泳ぐことはできないので、灰色の砂の上を歩きながらシーグラスを探すのがいつものパターンでした。
どこかに虚しさを感じつつも、でも流行に一切左右されない海の荒波を見るのはけっこう好きでした。
最新のカラオケやゲーセンができても、あっという間に廃れます。
オシャレなカフェやレストランだって、何年か経てば劣化が始まる。
でも海の波はいつも新鮮で流行りもなければ時代遅れにもならない。
その動じない雄大さが好きだったんだろうなと今になって思います。
数年前、とある温泉旅館へ向かう途中その町を通過しました。何十年ぶりかで海岸線を走ったけれど、子どもの頃の風景と何一つ変わっていませんでした。
何もないって、ある意味最強だな。
そんなことを思いながら車を走らせるわたし。
何もなくても海はずっとそこにあります。
スマホの電波があってもなくても、スーパーや100円ショップがあってもなくても、海は全く困りません。
人間て、ちっぽけだなぁ。
大人になると何もない場所が恋しくなる時があります。
きっと人間の原点に戻れるのがいいんでしょうね。
何もなくても動じない、そういう強さを海から学びたいものです。
感謝日記
しばらく会えなくなる友人とディナーで有意義な時間
美しい景色を見れた
困っている人を助けた