こう書くとなんだかゲテモノ食いのようですが、単に食べ物の好き嫌いがないだけです。
今までずっとそれが当たり前だと思って生きてきたのですが、どうやらその限りではないらしいと今頃になって気がつきました。
たとえば野菜。世の中、野菜嫌いが昔より増えた気がするんですけど気のせいかしら?
わたし本当に何でも食べれる人種でして、トマトとキュウリとブロッコリーに至ってはドレッシングもマヨネーズもかけません。
特に真夏のトマトとキュウリはそのままでもじゅうぶん美味しいので、逆に何かかけるのが勿体無いのです。畑からもぎ取ってサッと洗って一口大に切ったらそのままパクッと食べます。ブロッコリーは軽く塩茹でだけで食べるのがいちばん美味しい。
周囲からはけっこう驚かれますが、でも好きなんだから仕方がない。
克服したわけでもなく、子供の頃からピーマンも人参も抵抗なくムシャムシャ食べていたそうです。
食べ慣れないものが出てきた時は食わず嫌いで敬遠していたそうですが、何と言っても我が家は毒母の支配下にありましたから、「拒否」の2文字は家庭内に存在しなかったわけです。
「お母さんが食べろと言ってるんだから食べろッ!」という法律しかありませんでした。
とは言え、食べたくない物を泣きながら食べたとか、そういう記憶が一切ないんですよね。
唯一覚えているのは塩辛かな?7歳くらいの時にどこかから送られてきて、そこでわたしは初めて塩辛を目にしました。
父親は「酒のツマミに最高だ」と喜んでいますが、子供の目にアレは魅力的に映らないじゃないですか。言い方が良くないけれど、ちょっとミミズっぽい。
「お前も食べてみろ」と父親が箸を近づけてきたけれど、「嫌〜!イヤイヤイヤ!」と断固拒否。これだけは鮮明に覚えています。でもまあ結局、叱りつけられて食べたんですけどね。
文字通り塩辛くて美味しさは分かりませんでしたが、気がつけば好物に昇進してました。
嫌がった食べ物の記憶は唯一それだけです。
好き嫌いがないことを珍しがられることもありますが、たぶん食べ物への執着があまり強くないからだと思います。
見たい映画や本があれば、ご飯は適当に済ませて早くそっちに戻りたくなるタイプです。
夕飯はパンでも焼きそばでも全然構わないのですが、家人がそれだと耐えられないので作ってるだけ。
「食べることが好き」っていう感覚も、若い頃はピンと来ていませんでした。口に入れば何でも良くない?程度の感覚で生きていましたから。
海外旅行を楽しめるのも、おそらくそういう性格だから。好奇心も強いので、「こんな不思議な味の食べ物があるなんて!」という驚きと感動が勝って完食します。
市場などで地元の人が食べているものを見て「あれ何だろう?食べてみたい」と挑戦するタイプ。
なのでわたしの食レポは一切あてになりません…。
類は友を呼ぶもので、昔仲良くしていた男友達も「口に入れたものの8割は美味しいと感じる」と豪語していました。
「人間の舌には味蕾っていう味を見分けるセンサーがあるんだってさ。多い人ほど繊細な味の区別がつくらしいから、俺はたぶんかなり少ないな。何食ってもウマイ。」
「あははは!だったらわたしも少ないわ〜」
こんな青春時代でした。
まあ、結果的に何でも食べられる大人になったわけですし、おかげで物価が上がっても旬の安い野菜でなんの不満もなく日々を過ごせています。
夏にトマトをめちゃくちゃ食べるせいか、肌がキレイとよく言われます。
そう言えばトマト嫌いの子のお肌はガサガサだったな。
無理に克服しろとは言いませんが、気持ちに余裕があるなら嫌いな野菜にトライしてみても良いかもしれませんね。
感謝日記
溜まっていた洗濯物を一気に片付けた。
旅行へ行っていた友達から無事帰宅の知らせ。
新しい副業を順調にこなせた。