毒母の「いかにも!」な毒エピソードを思い出したので書いておこうと思います。
ある日、毒母と同じ宗教仲間から電話がありました。
体調がかなり悪く、病院で薬を処方してもらったけれどまだ具合が悪い。昨日は丸一日寝ていた…そんな内容だったそうです。
気の毒に思った母親はおかずを何品か作り、差し入れをしようとそのお宅へ出向いたのですが、チャイムを鳴らしても誰も出てきません。
病院でも行ったのかと心配しながら携帯にかけたところ、「今ね、娘とドライブしてるのよ〜。あら、おかず?どうもありがとう!でも戻るのは夕方になりそうだわ。」と元気な声で言われたそうで。
後日、怒りの形相でわたしに不満をぶちまける毒母。
「具合が悪いなら家にいるのが普通でしょう!出かけるなんて非常識にもほどがある!おかげでこっちは振り回されてばかりだよッ。せっかく時間かけておかずまで作ってやったのに、あの家族は異常だッ!」
そうは言っても、おかずは頼まれて作ったものではなく母が自主的にこしらえたものです。友人はその日ずっと家にいると約束したわけでもありませんし、回復したなら外出したって構わないでしょう。ドクターストップがかかっているわけでもないのですから。
要するに、毒母は自分の思い描くシナリオ通りにならなかったのが面白くないだけなんです。
おかずを届けると病に伏せった友人が顔を輝かせて母に感謝をする…そんな情景を脳内で想像しワクワクしながら行ったのに、自分には何の連絡もなく遊び歩いているのが許せない。
当然ながら感謝もされず、自分の時間が無駄になったと腹を立てているのです。
本来なら外出できるほど回復したことを「よかったね」と一緒に喜べば済む話だと思うんです。
結局のところ、相手のためというより自分が感謝されて良い気分に浸りたかっただけ。
そもそもの動機が自己中だから憤慨しているわけです。
でも宗教でそんな教え方はしていません。見返りを求めず人に親切にするようにと教わっているはずなのに、一体どうなっているのか。
教えの肝心な部分が母の心に達していないのでしょうね。だからこうやってすぐ短絡的に怒る。
情けない話ですが、本性ってこういう時に現れるんですね。
こういう信者がいるから、日本では宗教がヤバい人間の集まりだという印象を持たれるんじゃないかなと思います。言ってることとやってることがバラバラな人はたしかにヤバいですもんね。
余談ですが、そのお出かけしていたご友人は「おかずはいただけなかったけれど、お気遣いはありがたかったわ。」と、ドライブの帰りにお土産を持ってきてくれました。一枚上手です。
やはり見返りを求めずに親切にすると事態が丸く収まるんですね。良い教訓になりました。
感謝日記
仕事をやり切った
欲しかった靴が予想より安く手に入った
親切な店員さんの応対に感謝