益田先生という精神科医の動画を見ました。
「泣きながら話す自分に親身に寄り添ってほしい」は、心の病の有無に限らず誰しもが持つ欲求だけれど、それを許すと人は退行してしまうのだそうです。
なので、対抗ではなく自立を目指しましょう、という内容でした。
これだけ聞くと厳しく聞こえてしまうかもしれません。わたしも、ちょっと冷たいなと思いました。
精神科医に限らず、誰に対しても同じのようです。
泣きながら話す人に親身に寄り添うことはベストな解決策ではない。むしろ依存を生み出すことが多い。
ここまで聞いてハッとしました。
親身に話を聞いて依存させるのが宗教の手口だから。
勧誘の手法として「相手の話をよく聞く」というのがあります。もちろん、依存心を育てるというようなネタバラシはしません。
入信したらしたで「上級幹部に何でも思ってることを話してください。ひとりで悩まず、心を楽にしましょう。」と教えられます。より依存させて宗教離れを防ぐ目的があるのだと思います。
昔はわたしも丸っと信じてましたから、毒母のことやアル中の父親の暴れっぷりを話しましたけど、なんつーか、暖簾に腕押し、ぬかに釘。
トンチンカンな慰め方しかしてもらえず興醒めしました。全然頼りにならねーなとしか思わなかった笑
後から自分で本を調べたら、やっぱりカウンセリングを受けた方が良いらしいですね。当時は東南アジアと日本の二拠点生活を送っていたのでタイミングが掴めませんでしたが、今からでも遅くないかもしれない。
話が逸れましたが、要は聞いてもらったところで前進出来るとは限らない、と。先生も「泣いてもいいけど自分で泣き止むこと」と話していました。泣き止むまであやしてもらおうと期待しても、それは赤ちゃんだけの特権ということですね。
話はすごくわかるし納得できるけど、アダルトチルドレンや被虐待児にとってこれはなかなかの作業です。
自立の順次を間違えてしまったせいで、正しい自立の仕方がよくわからないのです。だからプロの手が必要なんでしょうけど。
たぶん、自立の第一歩は「泣いたら自分で泣き止む」。自分で自分の感情をコントロールするのがスタートなのかもしれません。
自分で決断して、自分で行動して、自分で責任を持つ。
日本の信者はこれがすごく苦手です。自分で決められず、「教祖さまがそう言ったから正しい」「教典にそう書いてあったから正しい」と、根拠にすがる傾向がものすごく強い。逆に誰かが自分の意見を述べると「どの幹部がそんなこと言ったの?」「会合でそんなこと言ってなかったわよ!」と責められる。組織の命令が全てで、何も考えず指示を待つことが自由だとガチで信じてます。まあね、自分は何も考えずに済むから、それを自由と勘違いするのも無理はないか。
わたしは自立したいです。
でも、自分はひとりじゃないので誰かに助けを求めたり、頼らなければならないことももちろんあります。「もっと頼って」と言われることもありますし、やはり加減が掴めていないんでしょうね。
日々学びです。難しいなぁ。
感謝日記
役所の人が親切にしてくれた
店員さんの接客がフレンドリーでよかった
ぐっすり眠れた