ある事が起きたとき
明らかに「わたしって運がいいな!」と思えることもあれば
「果たしてこれが吉と出るか凶と出るか…」と訝しんでしまうものもあります。
パッと見は良さげでも結局ぬか喜びだったり。
そういうことが重なると、どうしても不信感が湧いてきます。
それが積もり積もって人の形になったのが今の自分なわけで、今まで生きてきた時間のほとんどをネガティブキャンペーンに費やしてしまいました。
もうクセになっているんでしょうね。
ちょっと良いことが起きても「いや、これは逆に考えれば悪いことの前兆だ」と、わざとひねくれた発想をしてしまいます。
下手に信仰を持っているせいで、事あるごとに神頼みになってしまう依存体質になっているのかもしれません。
自分で解決すべきことも神様に依存して、変化がないと裏切られたように感じる。
この繰り返しだった気もします。
科学や瞑想など他の要素も取り入れることで、少しずつ考え方のバランスが取れるようになってきました。
自分で選び、自分で決断し、自分で1歩踏み出す時に神様が背中を押してくれる。
その選び方や決断の仕方を教えてくれるのが宗教なわけです。
仏教でもヒンズー教でもイスラム教でもキリスト教でも、古来から続く宗教はやはり人の心の真髄そ突くものがありますから、組織に属する必要はないけどそういう書物を手に取ってみるのは悪いことではないと思います。
少し話が逸れましたが、とにかくそんな流れで物の見方を少し変えてみることにしたわたし。
先日も、ちょっとラッキーに思える知らせを耳にしました。
例の如く「いや、でもな…」と黒い思考が頭を覆いかけたのですが、そこでハッと気づきまして。
「いや、これはもうプラスになる出来事だと思うことにしよう」と気持ちの切り替えができたわけです。
どうせ結果はまだ分からないのだし、だったら少しでも良い気分でいられた方がいい。
運がいい人って、こういう思考が身についている人を指すようです。
見るもの聞くものを自分のプラスになるものとして受け入れるのがすごく上手なんだとか。
そのうち本当にチャンスが訪れて、迷わずそれを掴むことが出来るというのだから大したものです。
わたしもそうなれたらいいな。
まずはあの小さな知らせをラッキーと思えるようにしよう。
あれは、わたしのために起こった小さな奇跡だと、そう信じることにします。
感謝日記
久しぶりにドトールでランチ
良い人たちに囲まれて仕事ができた
嬉しいお知らせがきた