30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

高知東生さんの依存性に関するツイートで思い出したこと

「依存症の話しをすると「俺も毎日飲んでて依存症かも」という人は多いけど依存症かも?と自分で言い出す人は大抵依存症までなっていない。依存症の人は「自分は依存症じゃない」と必死に否定する。それは嘘をついている訳ではなく「認められない」という症状まで含めた病気なんだよな。判り難い因果な病」

 

高知東生さんのツイート。めちゃくちゃ同感です。

別れた父親が今考えれば立派なアル中だったのですが、本人は真っ向から否定していました。

よおく記憶を辿っていくと、祖父母が毒母に「あの人、いちど病院で見てもらったほうがいいんじゃない」と勧めていた場面が脳裏に残っています。でも毒母は毒母ですから、

「いやいや、アル中なんかじゃないって!だって本人が違うって言ってるんだもの!」

これは鮮明に覚えてる。おそらく祖父母のみならず、友人からのアドバイスにもそう答えていたためでしょう。

 

当時はアル中についてそこまで理解が広がっていなかったのかもしれない。だから母親もそう言わざるを得なかったんじゃないか。

まだ母親への執着があった頃はそう考えていたのですが、よくよく調べると80年代ですでに高知さんと同様の説明をしている資料が出てきました。

しかも皮肉なことに、毒母がどっぷりハマっている宗教刊行物にそれがしっかり明記されていたのです。

 

見て見ぬふりをしていたのか、読んでも理解できなかったのか。

今となってはわかりません。なぜなら毒母が自分の記憶を改ざんしているから。

「わたしはあの人がアル中って分かってたけどね。病院を勧めても本人が行かないんだからどうしようもなかったのよ。」

空いた口が塞がらないとはまさにこのこと。手の施しようがありません。

 

当時は夫が逆上するのが怖くてアル中を指摘できなかったし、病院も勧められなかった。だから夫のアル中も認めなかった。

現在は、そんな過去の失敗の責任逃れから「自分は勧めたが夫が拒否したのだから自分のせいではない」と主張している。

 

とにかく自分中心にしか考えられないんです。

それで子供に被害が及ぶなんて想像もつかないんです。

周囲がどんなに「子どもたちがかわいそう」と言っても「そんなわけない!一番大変なのはわたし!夫は夜中に怒鳴ってんだから、子どもたちは寝てて気づかないんです。起きてわたしを助けに来なきゃいけないのに、何を呑気に寝てるんだか!」

そしてわたしを睨みつけるのがお決まりのパターン。

 

気づかないわけがありません。前にも書いたかもしれないけど、朝起きてリビングに行ったら見知らぬ半裸のおっさんが大の字で寝てたり、居酒屋でケンカをした父親の血みどろのシャツが床に放り投げられてたり、どうしてそれを見て呑気でいられるのでしょう。

 

「子どもは環境に慣れるのが早いからね。意外とショックなんか受けないんだわ。」

というのが毒母の言い分。もうどうしようもないです。

毒母への愛情を見限った今では怒りも悲しみも湧きません。

 

アル中だった父親はその後愛人を作り、慰謝料を回避するためたくさんの嘘をついてビタ一文払わずに離婚しました。数ヶ月後その方と再婚したようです。わたしがそれを知ったのは、ずいぶん後になってからでしたけど。

不倫略奪愛はうまくいかないと世間一般では言われてますがその限りではなさそうです。まあ、略奪したところでアル中なんだけど…。

高知さん曰く「判り難い困難な病」であることを百も承知で引き受けたのなら、肝の据わった人だなあと感心しますが、どうなんでしょうね。

 

高知さんは離婚されてひとりぼっちになって、ようやく自覚できたようです。

無自覚だった頃の自分を振り返って語るコラムを時折見かけますが、その域に達するまで本当に辛かっただろうなと思いますし、誰にでもできることではないと思います。

そうやって依存症から抜け出すことで救われている人はきっと多い。

 

無自覚な依存症の悪魔は毎日犠牲者を出しています。今目の前にいなくても、こうやってふとしたきっかけでわたしの記憶から蘇ってくるのだからタチが悪い。こうやって書いて吐き出さないと膿になっちゃう。

書ける場があることに感謝しないとですね。

 

あーあ、チェンソーマンが依存性の悪魔を食べてくれれば存在が丸っと消えるのになぁ。

 

 

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