「ヴィオレッタ」という映画の存在を知りました。
見てみたいような、見たくないような。
たぶん今のわたしは見るべきではない。引っ張られて気持ちが揺さぶられてしまうから。
しばらく見ることはないだろうと、ネタバレを検索。
もうそれだけで気持ちがぐわっと乱れました。
母娘のお話しなんですね。
「愛してる」と言いさえすれば何をしても許されるわけではありません。それでも、愛を免罪符に過干渉や言葉の暴力を振るう親の何と多いことか。
線引きが難しいため、周囲も「愛だね」と言いながら見て見ぬふりをするのが現実。たとえそれがおかしいと指摘されても「愛してるんだからいいでしょう」と突っぱねるのもよくある話。
愛と虐待の線引きが難しいのは、きっと子どもの中でも線引きができていないから。基本的に親が好きで、いつか親も間違いを認めてくれるという希望を捨てられないのです。互いに悪かったと謝りあって和解できる日がくると信じているんです。
だから、その希望を失った時は、糸の切れた凧がどこかへ飛んでいくのを眺めているような気分で、諦めの気持ちを寂しさと共に受け入れます。
わたしはそうでした。怒りの気持ちも憤りもあるけれど、最終的にはプツンと途切れて「あ、もうダメだわ。」と。
ヴィオレッタもそうだったのかもしれません。
これのどこが愛なんだと、反吐を吐くように絶縁したのかもしれません。希望が自分の手から離れたからこそ映画にできたんじゃないかな。
見たわけじゃないのにこんなに語るのもアレですが(笑)、あらすじから感じ取れたのはこんなところです。実際に見ると違う感想かもしれませんね。
暴力とは違う、別の意味での虐待を描く映画が生み出され誰かの目に留まるって、いいことだと思います。これがリアルなんだとひとりでも多くの人に気づいてほしい。
わたしももう少し元気になったら挑戦してみるかもしれません。
感謝日記
中身の濃いミーティングができた
仕事の流れが変わるかも…?
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