とある宗教団体と容易に想像がつく仕方で表現したものが抗議を受け、連載中止へと追い込まれたというニュース読みました。
思うんですがこれ、宗教に限らず何だってそうですよね。
どこの会社か分かるような書き方をしている文章、どこの学校か容易に識別できるような写真、誰を指しているか簡単にイメージできるイラストなどなど、良くも悪くも特定できる内容って世間にとってはセンシティブな案件ではないでしょうか。
もうその宗教から脱会していても同じで、会社だって辞めた後も漏らしてはいけない情報などありますよね。
人間社会の中で起こり得るトラブルのひとつだと思うんですが、タイトルに「宗教」とつけると途端に人々の興味を引くんでしょうね。日本は無宗教の人が大半のはずなのに不思議なものです。
国によってはそれこそ多種多様な宗教があって、老いも若きもたいてい何かに所属していて、それが当然だからいちいち話題に出さない地域もあります。何を信じるかなんて個人の問題だから話題にしてもしょうがない、みたいな認識です。わたしにとってその環境は居心地が良かったです。また住みたいな。
でも、現在の日本はそういう文化や考え方が薄いため、いわゆる2世と呼ばれる人たちは生きづらさを感じるのかもしれません。
わたしは、どうなんだろう。いちばん生きにくいと感じる場所は家庭で、それ以外は別に何とも思わないな。
両親の間には確かに宗教間の隔たりがあったものの、じゃあ宗教を取り除けば彼らは仲睦まじい夫婦になり得たのだろうかと考えると、答えは「否」です。それ以前に、人間としての問題と課題が多過ぎた人たちなので。
そもそも、宗教を持ってない毒親だって山ほどいるじゃないですか。その子どもたちも生きづらさを抱えていると思いますよ。そして、彼らからすれば「宗教のせいにできるだけいいじゃん。わたしは両親とも無宗教で、責任を追求できる材料がない。」と主張する人だっているはずです。そこに宗教が絡んでいようといなかろうと、毒親の元で育つのはみんな辛いんです。
わたしが読んだニュースの中には,「親子問題と自立の問題を信仰の問題にすり替えている面もある」という指摘もありました。以前のわたしだったらきっと反感を抱いていたでしょうけど、今なら納得できます。そして、この作者さんは「教義を否定しているわけではない」と述べておられるので、問題をすり替えているわけではないと思います。
毒親の信仰の持ち方、教義の理解の仕方が間違っていたため不幸に陥る2世がいる、ということを伝えたかったのではないでしょうか。
毒親は自分にとって都合のいいように物事を捉え、それを独裁者のように子どもに強制的に教え込んで自分の思い通りに子どもを操ろうとしますが、たぶんどの宗教もそんな教育方針を勧めていません。少なくともわたしの所属しているところは個人の意志を尊重しています。毒親信者が勝手に圧をかけているだけです。
「そんな毒親を放置する組織が間違いだ」というご指摘もあるでしょうが、そもそも宗教なんてゆるい繋がりでしかなく、法律を超えたジャッジを下すことは出来ないんです。せいぜい村八分にするくらい。
日本の警察や政府が多くの毒親に対してなす術がないように、宗教幹部だって毒親を逮捕することも罰することもできません。
毒親と戦えるのはその子どもだけ。誰にも介入できない戦いです。
教義の中には本当に人生の成功の秘訣もあります。実際、世界の富豪たちが持っている考え方の中には、教理に通じているものもあります。わたしはそこを深掘りして実践していきたい。
興味深い点ですが、毒親信者たちはそのあたりの教理をまるっと無視して生きています。手引き書や講話で何度となく扱われているのに、理解できないんです。
「人生の変化に習慣化は欠かせない」と、どんなに教えられても良い習慣は身につかない。その代わり、祈祷やお参りをムダな仕方で繰り返すことで習慣化したつもりになっている。
祈祷だって正しく使うと客観性が身につくのに、そういう仕方で祈れないんです。自己中だから自分の欲求ばかりです。
すごく勿体ないなあと思うし、だから「馬の耳に念仏」とか「豚に真珠」なんて諺が古来からあるのだろうなと納得できます。歴史も宗教も、同じことの繰り返しなのかもしれません。
自分とは違う信仰を持っておられる方の中にも立派な方はたくさんいらっしゃいます。真摯な動機を持っておられたり、人並外れた誠実性をお持ちだったり。そういう部分は宗教の枠を越えて見習える部分があるとわたしは思っています。もしもそのような方々とお話しするチャンスがあったら、お互いの考え方を尊重し合いながら有意義な会話ができるんじゃないかなぁ。
日本で「宗教を持っています」というと引かれることが多いかもしれませんが、海外では「ああ、そうなの。わたしはイスラム教徒だから豚肉を食べないのだけれど、あなたは何かある?」と普通に聞かれるシーンがちょくちょくあります。
会話の引き出しが増えるという利点は、上手に活かしていきたいものです。
感謝日記
公共の乗り物で見知らぬ方から親切を受けた。
職場の上司から優しい言葉をかけてもらえた。
困っている友人を助けるチャンスがあった。