30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

みんな何かしら障害があるらしい

発達障害と診断はされないものの、かなりそれに近いと思われる子どもたちを支援するセンターで働いている友人がいます。

ふつうの学校に通うものの、他の生徒たちと仲良く過ごしたり授業についていくのが難しいためセンターでサポートをするそうです。

「かと言って特別支援学級に入らなければならないほどでもないからね。今の日本の現状では、彼らも自分の居場所を見つけるのが大変だと思う。」と語っていました。

 

友人は職業柄よく勉強をしているので知識や情報を豊富に持っています。

そんな友人が言うには、「今生きている人は大抵何かしらの障害があるみたい。何一つ問題のない人の方が少ないんだってさ。」だそうです。

程度の差はあれど、誰しもが何かの問題や障害を抱えているのが当たり前の現代。

昔からそうだったのかもしれません。研究が進んで明らかになった事実という可能性もあります。

 

そうなのか〜。

だとすれば、個々を認めず型にはめようとする社会はきっと誰にとっても生きづらいことでしょう。

そもそも、その型を作った人物や集団が正しい判断をしているとも限りません。

自分の利得のためだけに作った型かもしれないのに。

 

思うに、誰しもが何らかの障害を持っているのだとしたら、もうそれ障害って呼ばなくてもよくない?個性でいいじゃん。

その方が楽な気もするけれど、実際どうなんでしょう。

周囲は個性を認め、本人は自分の個性に責任を持つ。自分の個性ゆえにできないことや失敗することもあるけれど、それも含めて自分だと受け入れることができるのでしょうか。

わたしの周りには言い訳をする人がすごく多くいます。ちょっと前まで、わたしはその言い訳に使われていました。毒母からも夫からも「自分がミスしたのはお前のせいだ。」と言われ続けていました。むろん、わたしも負けじと自分のミスを周囲のせいにしていたのですが、数年前にその不毛さに気づき自分を変えることにしました。

そしてその後、先の友人の話を聞くことになるわけです。

完璧な人なんていないのだし、皆何か欠陥や障害を抱えているのなら、それも含めて自分だと受け止めないと先に進めない。

欠陥があるなら当然失敗だってするでしょう。

成功は自分のもの、失敗は他人のせいなんて都合良すぎる。

 

とは言え他人の価値観を変えることは不可能に近いので,せめて自分だけでも変化したい。

調べればわたしにもいろいろ障害が出てくるはず。空気が読めないときだってあるし、言っちゃいけないセリフが口をついて出てくることもありますから。

それでも少しずつ前に進めます。進んでいます。40代でも足を前に出せるんですよ。

時にそれは茨の道だけど、わたしは歩みを止めたくありません。

 

感謝日記

友人を慰めることができた。

仕事で良い結果が出せた。

天気が穏やかで気持ちもリラックス。