アメリカで長く生活していた友人がいます。
詳しいことは知りませんが、仕事もバリバリこなしていたし、永住権も持っているので戻ろうと思えばいつでも戻れるんだとか。
彼女の口から「カリフォルニアではこうだった。こういうことを学べた。」という話を聞くのがけっこう楽しいのですが、それよりも興味深いのは彼女に自然と身についている感覚だったりします。
物事の捉え方が一般的な日本人とちょっと違うことがあり、それはきっと向こうで生活しているうちに徐々に影響されたものなんじゃないかと思うのです。
例えば、管理職に就いている彼女が部下の話をするとき。
「とても記憶力が良い人なんだけど、口で言うだけじゃ記憶できないのでいつもメモを書いて渡すの。そうしたら絶対に忘れないのよ。才能だと思うわ。」
と話すのです。それがわたしには新鮮でした。
わたしの周囲はどちらかと言えば、「どんなに分かりやすく説明しても理解できないによね。ちょっと変わってるわ。」と判断する人が多い傾向にあります。
少し工夫をすれば驚くような能力を発揮できるはずなのに、それを「変わってる」で済ませてしまうのは勿体無いなと思います。
きっと指導する側にもマニュアルが用意されており、そこに書かれていないことはやってはいけないのかもしれないけど。
たぶん、アメリカを始め諸外国ではメソッド化が進み、個々の性格や能力に応じた多種多様な方法が選択できるようになっているのだと思います。
深海ちゃんがYoutubeでイギリス留学していた時の話をしていたのですがやはり似たようなことを言っており、「多動症の子が授業中に身体を揺らし始めたら、すぐ席を立たせて別の場所で少し休ませるの。そうすると治ってまた授業に参加できるのよ。普通の子と違うから排除ってわけじゃなく、その子に合った指導マニュアルがちゃんとあるの。」とのことでした。
ひとりひとりと向き合うというのは、そういう意味なのかもしれません。
アメリカ在住経験のある彼女から見れば、「できないこと」は個性の一部であって短所ではないそうです。本人が克服したいなら協力するし、どうしてもできないならサポートする。そして、サポートされた側はいつか他の誰かのサポートに回ることで人間関係がうまく運ぶ。そういう考えのようです。
突き詰めれば問題点も出てくるのだろうけど、わたしはこの考え方が好みです。
できないことなんて誰にだってあるし、そこに注目していたらキリがありませんしね。
だからと言って「わたしには出来ないのだからサポートするべきだ」と偉そうに主張するのはちょっと違うけれど。
わたしもそうやって、ひとりひとりとじっくり向き合っていきたいものです。
感謝日記
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ぐっすり眠れた
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