30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

勘がいい

どちらかと言えば勘の良い方だと思います。
くじ引きはまったく当たりませんが。

「直感を信じた方がいい」という説もあれば「直感をアテにしてはいけない」という意見もあります。

これはどうやら、直感に至る過程がキモになってくるようです。
直感に限らず、今後の経済の動向や地球環境の将来など、人は予測というものが好きです。
たしかに見えない未来を見たい気持ちは誰にでもありますよね。
大切なのは、「何を予測するか」ではなく「どうしてその予測に至ったか」という過程だそうです。
某メンタリストさんの動画で見た内容の受け売りですが、たしかに一理あります。

過去の出来事やデータを分析したうえでの予測には説得力があります。
それが外れるとしたら、予想外の事が起きる場合だろう。であれば、不測の事態に備えて今できることは何だろうか。
こういう順序で考えると、予測が当たっても外れてもさほど大きなダメージを受けずに済むかもしれません。

一方で、何の根拠もなくただの勘だけで予測するとしたらどうなるか。
その予測に基づいて行動することが既にリスキーです。なんの根拠もありませんから。
どれくらいの確率で予測が外れるのかもわかりませんから、いったい何にどれだけ準備をすればリスクを回避できるのか見当もつきません。
終わりの見えないリスク回避は時間と労力を費やすばかりで、次への一歩を踏み出せません。
なんというかもう、グダグダですよね。


わたしの勘はそこまでスケールの大きい話ではないのですが、
「あの人近いうちに会社を辞めるんじゃないかな。」
「辞めるとしたら理由はこれじゃないかな。」
「あの上司はもしかしたら精神的な病気かもしれない。」
「だとすると、いつかこういう問題を起こすかもしれない。」
「あの新人スタッフはきっと長続きしないだろうな。」
「せいぜい2か月ってとこかな。」
くらいのことはなんとなくわかります。

 

実は、ごく最近まで自分の勘には全然自信のなかったわたしですが、とある小さな出来事をきっかけに考え方が変わりました。

職場でとある男性社員が可愛い女子社員を気に入っているように見えたことがありまして。
一生懸命アプローチをしているようにも見えたし、なんとなく休みの日も合わせている気がしたんですが、周囲でそのことについて話題に出す人が全くいません。

ちょうど良いので、自分の勘が当たっているかどうか試してみることにしました。

付き合い始めればそれはいずれ明らかになるだろうから、それまでは誰にも言わず黙って観察していよう。それなら外れても恥ずかしくないし、誰も傷つけませんよね。
もし当たっていれば、自分の勘もなかなか捨てたもんじゃないなと、自分で自分に納得がいきます。

そんなこんなで数か月。
男性社員からのアプローチがまったくなくなりました。社内での接点もほとんど見当たらない。
噂にする人も誰もおらず。
でも、女子社員は以前より明るく朗らかだし、仕草もなんだか可愛らしい。
きっと本格的にお付き合いを始めたから、隠すために社内での接点を減らしているんじゃないかな?

ひとりで地味にこうやって仮説を立てるのって、意外と面白い。
なぜか昔ハマった「かまいたちの夜」を思い出します。いや、あれは殺人事件なんですけどね。
小さな証拠を集めて正しい結論に導き出す、推理ゲームみたいなおもしろさがあります。

 

で、ある日。
いつもとは違う勤務場所で仕事をしていたら、その可愛い女子社員が立ち寄ってくれたんですね。
近くまで遊びにきたから、顔を見に来てくれたとか。
ひとしきり雑談して去っていったんですが、格好からしてデートだろうなと思ったのでしばらくじーっと見ていたら。
はい、だいぶ行ったその先に、かの男性社員が現れましたとさ(笑)。

それでもかなり距離が遠かったので彼だという確証はありません。背格好が似た別人かもしれないぞ。
さらに目を凝らして見ていたら、その男性が振り返り、わたしと目が合うなりクルッと向きを変えました。
もう確定です。うしし。

見ず知らずの他人ならそんな反応にはならないはずです。
見覚えのあるわたしの顔だったからこその反応でしょう。

 

思うに、女子社員の方はあまり隠す気がなくて、気にしているのは男性のほうかな?

きっとシャイなんでしょうね。

 

まあそれは別にいいんですけど、わたしとしては自分の勘が当たっていたことが何より嬉しかったです。

これまでに幾度となく書いてきましたが、わたしは本当に自分に自信がないので、
過去に勘が当たっても「そんなの偶然だ」と考えて、なぜか否定し続けていたんです。
「こんなの誰にだって分かることだし。」
「わたしに特別な観察力なんかあるはずない。」
思うにこれは、毒母からずっとそう言われ続けていたこと。
いつの間にか沁みついていたようです。

 

先日のこの出来事を通して、毒母の洗脳がまたひとつ解けました。
たぶん、わたしは自分の勘を信じても大丈夫なんだろうなと、また少しだけ自分が好きになりました。

 

あの可愛らしいカップルには幸せになってもらいたいものです。

 

感謝日記
試しに入ったカフェのモーニングが美味しかった
諦めかけていたアイシャドウが偶然手に入った
尊敬できる上司と仕事ができた