30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

絵描きさん夫婦の話

仲良くさせていただいている、70代のご夫婦がいます。

旦那さんの体調があまり良くないため、奥様が働いて家計を支えています。

互いの素性はあまりよく知らなかったのですが、話していてなんとなく気が合うためあまり深い話もせずにお付き合いをしていました。

 

そんなある日、あちらから「今度我が家でお食事でもいかがですか。」と嬉しいお誘いが。

手土産を持っていそいそと伺い、そこでようやくこれまでの半生をお話してくれました。

聞けば旦那様は独身時代、絵描きとして海外を渡り歩いていたのだとか。
スペインやイタリアで絵を描いたり売ったり、フランスではムーラン・ルージュへ行くつもりがタチの悪い客引きに騙されてぼったくりバーへ連れ込まれ、払えるお金がないからと全速力で逃げ出した話を笑いながら語ってくれました。

オランダかどこかではクスリもちょっと嗜んだそうで、「まあ、昔はいろいろいい加減だったからさ。」とニヤリ。

聞いてるこっちはびっくりですが、当の本人は特別どうってことない感じで淡々と語ります。

いやあ、いいですねーこういう放浪癖のある人。

そう感じたのはわたしだけではないようで、奥様も彼の自由奔放な生き様と絵の才能に惚れ込んで結婚したんだとか。

「その頃わたしは銀行員で稼ぎがあったからね。生活はわたしが支えるから、この人にはずっと絵を描いてもらいたいって思ってたのよ。」

 

カッコいい…!!!

どうやら奥様も絵心のある方のようで、だからこそ旦那さんの才能に惹かれたのかもしれません。

おうちの中には旦那さんの過去の作品が部屋のあちこちに置かれています。

それ以外にも、他の絵描き仲間から貰ったという額に入ったバラの油絵も大切に飾られていました。

どうやらその世界では有名な方の作品のようです。名前をお聞きしたのですが、絵画の世界に疎すぎて忘れてしまいました。

聞けば、ふたりの生活がかなり厳しかった頃、その有名な女性画家が
「いよいよ生活が苦しくなってどうしようもなくなったらこの絵を売りなさい。」と言って手渡してくれたものだそうです。

 

しかし、とても素敵な絵なのでどうしても売りたくなかったふたり。
死に物狂いで働いて、なんとか売らずにここまでやってこれたと仰っていました。

 

なんだかフランス映画に出てきそうなエピソードで、ただただ聞き入ってしまいました。

貧乏画家とか才能に惚れ込んで尽くす女とか、映画の中にしか存在しないかと思っていたら以外の身近なところに実在しているんですね。

 

不思議なもので、類は友を呼ぶのかこのご夫婦の周りにはわりとそういう人が集まるようです。

「ほら、〇丁目に廃校を改築したギャラリーがあるじゃない、あそこの夫婦も似たような感じよ。」
「△△町のご夫婦はご主人が陶芸家なのよね。」

芸術家夫婦ってそんなにゴロゴロいるもんなんでしょうか。それともこの町が特殊なのかな?

 

昨今ではご主人が家事を行い奥さんが外へ働きに出る「主夫」というスタイルもよく耳にしますが、このご夫婦は主夫でもなんでもなく、稼ぐのも家のことも全部奥さんがやります。ご主人は体調を崩して週に何度も病院へ行かなければならず、その送迎も奥さんがやります。

生涯絵を描き続けるのが夢だったためお子さんはいません。

「もうずっとこの生活だからね、慣れたもんよ。」と、ショートカットで颯爽と歩く奥様の後ろ姿はとても凛々しい。

 

奥様が大黒柱なだけあって、ご主人の機嫌を取ったり依存しているようには全く見えません。
かと言ってカカア天下かというとそうでもない。
友達のような仲間のような同士のような、すごくフラットな関係なんじゃないかと思います。

もしかすると欧米にはこういうタイプのカップルが多いのかな?

 

時代が時代だったので籍を入れたけど、今彼らが20代だったら結婚しないで一緒にいたんじゃないかなあと思わせるような間柄です。

 

そんな彼らを「変わってるご夫婦よね」と言う人もいるけれど、わたしは全くそう思いません。

 

お食事を楽しんでさあ帰りましょうというとき、奥様がわたしに向かって
「あなた、ネチネチしてなくていいわね。わたし好きよ、そういう性格。」と仰ってくれました。

もしかするとこのご夫婦のエピソード聞いた他の人は、わたしと違うリアクションを取ったのかもしれません。
まあ、日本のトラディショナルな夫婦の形とは言えませんしね。

 

世間の反応はどうであれ、わたしはこのご夫婦が大好きです。

ご主人の健康状態が良ければ、きっと今でも外国で絵を描いていたに違いない。

 

同じ宗教の信者仲間なのですが、芸術家肌のご主人は他の幹部たちからずいぶん煙たがられていたようです。
「もう上の立場になるのはこりごりだ」って言ってました(笑)。

立場はどうであれ、慈愛とか思いやり、平和を愛する心はご主人の絵に彩りを添えていると思います。

わたしはそういう人と仲良くなりたいな。

 

感謝日記
メルカリが売れた。
ユニクロでショートパンツをセール価格でゲット。
仕事用の新しいカバンの使い心地が最高。

憧れの野宮真貴さん

野宮真貴さんの歌声に初めて触れたのは、たしかラジオだったと思います。

地元のFMラジオ局で洋楽やインディーズを中心に流すチャンネルがあり、運転中はいつもその曲の番組を聞いていました。

そして流れてきたのが、ピチカート・ファイヴの「モナムール東京」。

 

youtu.be

 

タイトルに東京がつく曲では「東京は夜の七時」のほうが有名ですが、わたしはこっちのほうが好み。

なんとなくキューティーハニーのテーマに似ている気がしません?

小西康陽サウンドに触れたのもこれが初めてで、あまりのオシャレさにめちゃくちゃ衝撃受けました。

 

野宮さんの声は決してロック向きではないと思うのです。
それまでは、相川七瀬とかティナ・ターナーグウェン・ステファニーといった、伸び伸びと張りのある、少し太い声がロックシンガーに多かったような気がするのですが、野宮さんは上品で品があって、どこか儚さのある透き通った歌声。

ロックのはずなのにカラオケで歌っても今一つ盛り上がりに欠ける不思議さがありました(笑)。

 

ファッションだって、他のロックシンガーとは全然違う。

モナムール東京の頃は、60~70年代のクレージュみたいな、ボックス型のミニ丈ワンピをよく着ていた印象があります。

イギリスのファッションモデル、ツィギーを思わせるような細長い手足にミニ丈ワンピ、毛先をくるんとさせたお人形のようなボブがもう、可愛いのなんのって。

 

もともと60年代のレトロファッションが好きだったので、もうすっかり虜です。
カラフルでポップな幾何学模様のスカートや太めのヘアバンドに憧れていましたが、いかんせん体型が別の生き物のように違うので真似をするのはやめました。

 

野宮真貴さんのスレンダーボディは61歳の今もキープされているのだから驚きです。
歌声も昔のまま、やさしくてほのかな色気の漂う素敵ヴォイス。

おしゃれも健在で、仕立ての良い深緑のツイードのスーツに大き目のパールネックレスとおそろいのブレスレットを合わせた写真がネットに出ていました。

最近はストレスをかけないゆるファッションが王道ですが、そんなものには目もくれず、たくさんのスーツをバシッと着こなす様はさすがの一言。

わたしが最後にスーツを着たのはいつのことだろう…。

 

そんな彼女のブログには「10歳若く、身長が2センチ高く、ウエストが5センチ細く見える方法」という記事があります。
本文はとてもシンプル。
「背筋を伸ばし、アゴを引き、まっすぐ立ち、前を見ましょう。‬美しさは姿勢から始まります。‬」

はい、まったくその通りです。返す言葉もございません。
姿勢からスタートさせるためにも、やはり食事と運動には気を遣わないとダメだということですね。

 

野宮さんの魅力的な生き様は各媒体でよく扱われているのですが、どこかのインタビューで「歌とおしゃれがだいすきなまま還暦を迎えた。」と仰っていました。

「素敵な服を着て華やかなステージで歌うことが私のやりたいことだし、それが私が一番うまくできることなんです。わたしよりおしゃれな人もいるし、歌の上手い人もいます。でも、わたしは人に夢を与えるスターに憧れていたんでしょうね。」

 

こう言えるのって、いいなあ。

「自分がいちばんうまくできること」を分かってるって、素晴らしいことだと思います。

あくまで自分軸なんです。「この中でわたしが一番オシャレで一番歌が上手い」わけではないのがポイント。

 

毒親育ちはなかなかそう考えられません。
わたしのピアノ演奏を誰かが褒めてくれても、すぐ毒母が「世の中にはもっと上手な人がたくさんいる!アンタなんか上手くもなんともない!」と𠮟りつける日々でしたから。

そういうことではないんですよね。
今の自分の実力でいちばん上手に弾ける曲を褒めてもらえたら、それをありがたく受け止めればいいだけのことです。他の人と比べてもどうしようもありません。

 

野宮さんだってスーツや渋谷系ファッションはものすごくオシャレでお似合いだけど、ビンテージジーンズを履きこなせるかと言われたら、ちょっと微妙だと思います。

でも、敢えてそこを突っ込む人はいないしそんなことする必要はないんです。

 

そうやって「好き」を貫く姿勢が、今も素敵な野宮真貴さんを作り上げているんじゃないかなぁ。

 

ロックな世界で生きているとはいえ、それでも強く個性が輝いている方ですから、きっと背後には妬みや嫌味ややっかみが常にうろついているんだろうなと思います。

「無難な方は選ばない」と言い切っているくらいですから、もうそういうネガティブなものは収束せず共存すると諦めているのかもしれません。

たぶん、他人に何をどう言われようと好きなものは好きなのでしょう。

 

わたしにもそれくらい強く貫けるものがあるだろうか。

ちょっと考えてみたいと思います。

 

感謝日記
連絡をシャットアウトしてしっかり休養を取れた。
お風呂にもゆっくり浸かれた。
ぐっすり眠れた。

40歳以降は軽く生きる

Twitter糸井重里さんがこう呟いておられました。

 

5歳より、10歳のほうが、10歳より20歳、30歳のほうが重くなる。で、40歳とか50歳あたりからはもう重くなっちゃだめなんだと思う。そこらへんからは軽くなっていくことが生きることなんだと、ぼくは思う。

 

なるほどなーと唸らせるツイート。

ちょうど自分でも「軽くしたいな」と考えていたのでとてもタイムリーな呟きでした。

 

人によって軽くしたいものはいろいろだと思います。

財産だったり、人間関係だったり、思考だったり。

中でもわたしは今、人間関係を軽くしたい。

そうは言っても生きてる以上出会いはあります。

今後出会う人とは連絡先を一切交換しないとかそういうことではなく、自分にとって負担になる関係は積極的に絶っていこうかな、と。

 

たとえばそれは、頼み事をしたい時だけ連絡して来る人。

仕事を紹介してほしいとか、ネットで調べ物をしてほしいとか、自分で行動するのが億劫でわたしに頼んでくる人が一定数います。

それは今までにわたしに原因があって、あまりの自尊心の低さに「頼まれごとはタダで引き受けてナンボ」という毒母の間違った教育を鵜呑みにしていたから。

でもここ何年かで考え方が変わり、そういう人たちを少しずつ遠ざけることができるようになりました。

もうね、快感しかない。もっと早くこうするべきだった。

 

加えて、ネガティブな噂話が多すぎる人。

自分の生活や仕事に関わる情報ならまだ分かりますし、時には必要な場合もあります。

例えば「スタッフのAさんは喋りすぎる」という噂を耳にしたら、内密の情報はあまり伝えないようにして仕事上の安全を図ることもできます。

でも、自分にはあまり接点のない人の噂話や悪口は、効いていても時間の無駄としか思えない。

昔は面白がって聞いていたけれど、時経つうちに興味が失せてきました。

やっぱりとっても心地いいです。爽やかに過ごせる日が増えました。

 

人間関係だけに留まらず、思考も軽くするよう心がけています。

今考えてもどうにもならないことをいつまでも考え続けないとか、

失敗しないルートを探すことに時間を使うより、ある程度のリスクを覚悟で挑んだ方が時間の節約になるとか。

「失敗したって別にいいじゃん」と考えられるようになってから、頭の中が少し軽くなった気がします。

くよくよ考えなくなったせいかもしれません。

 

他にも、世間の目とか競争心とか、許せないほどの恨みなどなど、捨てると楽になりそうなものはまだまだあります。

物理的に体重も減らしたいし、服も減らしたいんだよなぁ。

 

ひとつずつ、やっていきましょう。

 

感謝日記

仕事で良い成績が取れた。

職場の仲間と有意義な会話を楽しめた。

もらったおやつがおいしかった。

 

 

 

こんな風に声をかける人になりたい

かなり長いこと憧れている人がいます。ネット上でね。

ごくごく普通の主婦の方で、わりと近いエリアに住んでおられるようです。

数年前に地元のおしゃれカフェ巡りにハマり、いいお店がないかなぁとネットを調べるとたいていその方のブログがヒットするため、ブックマークしてちょくちょく覗きに行くようになったのがきっかけです。

 

ほんわかした温かい文章と、素敵なカフェの写真。思わず行ってみたくなるような、惹きつけられる記事ばかりです。

 

そんな彼女の最近のブログに、とても感動させられました。

 

亡くなったお母さまの納骨堂へお参りに行ったところ、泣いている女性がいらしたそうです。

静かに「こんにちは」と声をかけて中に入ると、

「ここにはどなたがいらっしゃるんですか?」と話しかけられたんだとか。

「母がいるんです」と答えたことがきっかけで、その泣いていた女性も「わたしはここに娘がいるのだけど、遠方に住んでいるのでなかなか来れないの。」などと色々お話されたようです。

それを聞いたその方は「わたしは家が近くて毎月来ていますから、そのときは娘さんにも手を合わせますね。」とお約束して別れた、というお話でした。

 

すごく心がこもっていて、あったかいなあと胸がじんわり熱くなりました。

きっとその遠方の女性も嬉しかっただろうし、ホッとしたんじゃないかなぁ。

 

同じシチュエーションで、わたしは同じことが言えるだろうか。

ただ通り過ぎてしまうんじゃないかな。

「こんにちは」さえ言えないかもしれない。

 

わたしもこういうことが言える人間になりたいなと思いながら、用事で街の中心部を訪れたある日。

イベント広場で、プラカードを下げた団体さんが講演会をしていました。

募金活動かな?政党の演説かな?と思いながら近づくと、ウクライナでの戦争反対を平和を呼びかけるキャンペーンのようです。

「戦争反対」「平和を取り戻そう」などと書かれたパネルを高々と掲げた高齢者が、日の当たる中で何人も立っていました。

 

無視して通り過ぎる人もいれば立ち止まって聞いている人もいます。

わたしはちょっと興味があるものの時間がなく、どうしたものかとチラチラ見ながら通り過ぎようとしたところ、少し先を歩いていた年配の女性がプラカードを持つ男性に「お疲れ様です。」と声をかけて去って行くのが見えました。

あ、そうか。そうやって声をかければいいのか。

さっそくわたしも真似して「お疲れさまです。」と、軽く会釈をして通り過ぎました。

スルーするよりこちらの方が気分が良いですね。

 

もしかするとその団体さんは宗教から派生したグループかもしれません。

わたしとは信条を別にしているかもしれないけれど、でも戦争を止めてほしいという願いは誰だって同じですよね。

平和を願いながら何もしない人が大半な中で、こうやって何かしらのアクションを起こしていることに対しては、ねぎらいの気持ちを言葉に出したい。

 

ブログの方も、この年配の女性も、普段からやさしい気持ちを持っているのだと思います。

やさしさを口に出すことを躊躇しない姿は、とても素敵ですよね。

 

自分の中にもそういう感情はあるはずなのに、なぜか表に出すことをためらってしまいます。

面倒なことに時間を割きたくないとか、相手から変に思われるかなとか、何かしら理由があるんだろうけど、後から考えると大した理由じゃない。

そしてたいてい、「やっぱり声をかけておけばよかった」って後悔している自分がいるんですよね。

 

少し前にも、職場で同僚がやさしい言葉をかけているシーンを目にして「すごいなぁ」と思ったばかり。

 

そういえば、ここ最近忙しくてココロがギスギスしているかもしれない。

やさしさを忘れかけていたかもしれない。

 

取り戻すために何ができるんだろう。やっぱり瞑想かしら。

 

なんかこう、わたしはどこか理屈っぽいところがあって、脊髄反射のようなやさしさが装備されてないなと思うことがたびたびあります。

やさしさのメカニズムを組み立ててから言葉を出している気がする。

そこに嘘はないんだけど、変に遠回りをするせいか偽善ぽくなるのが自分でもイヤ。

これは生涯努力し続けるべき課題になりそうですね。

 

良い気付きを与えてくれる出来事が起こったことに感謝です。

 

感謝日記
メルカリで高評価をもらえた。
頂き物のケーキがおいしかった。
新しい副業にチャレンジできそう。

三谷幸喜さん 続き

以前のお話の続きです。

三谷作品が好きで、映画やドラマなどをよく見ていたわたし。

ただ、エッセイは当時まだ読んだことがありませんでした。

そんな折、姑がこう言ったのです。

朝日新聞に三谷さんのコラムが載っているのだけど、あれを読むと奥さんのことを本当に愛してるんだなぁって伝わってくるのよ。」

へーそうなのか。と、その時は大して興味も湧かずに聞き流していたのですが、

それからしらばく経った後、何気なくフラリと立ち寄った図書館で三谷さんのエッセイ「ありふれた生活」を見かけた時、あのときの姑のセリフを急に思い出しました。

どれ、せっかくだから借りてみようかと家に持ち帰って読んでみたのですが、最初に抱いた感想は

「ん?このふたりはいずれ別れてしまうのでは?」でした。

たしかに奥さんとのやり取りが要所要所で出てきます。会話だったり、行動だったり、時には励ましだったり。

そこには悪意も何もなく、起きた出来事が淡々と綴られているのみなのですが。

なんとなく私の目からは、「別れの予感はあるものの、なんとか頑張って立て直そうとしている」ように見えたんですよね。

がんばってるけど、ちょっと難しそうだなあと思っていたら、数年後におふたりの離婚が報道されていました。

 

どうして別れを感じたのかはうまく言葉にできません。

それこそHSPの敏感さで感じ取ったのかもしれないし、単に自分の親の離婚ルートを見て育ったせいかもしれません。

前者なのだとしたら、三谷さんは本当にストレートに、包み隠しなくエッセイを書いておられたのだと思います。

わざわざ「うちは離婚の危機です」なんて書くことはしないけれど、でもその背後にある気持ちや心の中のザワザワを抱えながら文字を綴っていたんじゃないかしら。

不安を無理に押し殺したり、見て見ぬふりをして書いた文章だったら、きっとわたしは気づかなかっただろうと思います。

 

そういう方もいらっしゃいますよね。徹底的に隠して決して表には出さず、水面下でその関係を終わらせ、ずいぶん経ってから「そういえば去年離婚をしまして」などと綴る方。

それはそれですごいプロ意識の高い方なんだと思います。

自分のプライベートと仕事をキッチリ分けておられるのでしょう。

そういう方の文章はさすがに見抜けません。いや、別に裏を探るような気持ちでエッセイを読んでいるわけじゃないんですが、なんていうか、感じ取れないんですよね。

物書きのプロにも、さまざまなタイプがいるということなのかもしれません。

 

どちらも魅力的だと思います。気持ちに素直な方も、しっかり線引きして感情を表に出さない方も。

 

わたしはどちらかと言えば何でもかんでもオープンに書きたいタイプなのですが、

昨今はいろいろと気にしなければならないことも多いので、思うようにぶっちゃけられないのが辛いところですね。

その昔、mixiで日記を書いていた頃はそれこそ自由奔放でした。

リアルな友人と繋がらない裏アカを作り、匿名で好き放題書いていたのは楽しかったな。

仕事のグチや面白くなかった出来事はもちろん、ちょっといい感じだった男性との話なんかも書いたりして、ごくわずかなmixi上の友人たちとワイワイ盛り上がっていました。

大御所の林真理子さんあたりはもう怖いもんナシなのか、そういうちょっといいナと思っている男性とのデート話もどんどん書きまくってて清々しいですよね。

というか、かなり遠慮なくデイトしていて非常に羨ましい。まあ、ややこしい関係になってないからしれっと書けるんでしょうけど、それにしてもすごい人数の男性とよくお食事に行かれてらっしゃる。

わたしもねー、コーヒーくらいなら別にいいじゃん派なんですが、いかんせん周囲の目がピリピリしていてそれを許しません。

宗教組織の仲間はもちろんのこと、職場でもけっこう過敏な方が多いです。

 

かなり前、前職で同じ部署だった派遣の方と偶然再会して仲良く話していたら、マネージャーに「〇〇さんとどういう関係なんですか?ずいぶん親しそうですね。」と詰め寄られて驚きました。その派遣の男性が悪ふざけで「いやぁ実は前に付きあったことがありまして」なんて言うものだから、一気に周囲が「マジで?!」と異様に盛り上がる。

いや違うけどさ、だったらどうなのって話じゃないですか。わたしたちの関係なんて仕事には全く影響ないわけで。

 

今の職場でも、偶然会った男友達とワイワイお喋りしていたら上司から「今の誰?」と聞かれ、正直に「友達です!」って答えたら「友達?!?!」とめちゃくちゃ驚かれました。人妻に男友達がいちゃイカンのかい。つーか、何て言えば驚かれないんだろう。イトコとか?

 

そんなこんなで、三谷さんみたいに何でも語りたい反面ブレーキをかけてしまう自分もいる今日この頃です。

 

感謝日記
着付け道具が役目を無事終えた。今までありがとう。
濃厚接触者の友人が陰性で何より。
キャンプ用のコーヒーミルを予算内でゲット。

TVもお笑いもよくわかりません

かれこれ10年くらい前から、まともにテレビを見ていない気がします。

今見ているのはせいぜいニュース番組くらいでしょうか。

特に不便はないのですが、お笑い芸人がサッパリわからず、時折みんなの話についていけなくなります。

 

わたしの職場にはときどきTV番組のロケが入ります。ポップアップストアやイベントの宣伝のために来るようですが、たまにお笑い芸人がリポーターをしているときもあります。

なんとなく人だかりが出来ているので「有名人かな?」と思って身を乗り出してみるのですが、そんなことをしたところで分かるわけもありません。

「結局誰だったんだろう?」と思っていたら、同僚が「〇〇が来てたよねー!見た?」と話しかけてきます。それでもやっぱり分からなくて「ごめん、〇〇って誰?」と聞く始末。

 

というかですね、おそらく失顔症のわたしは身の回りの人間の顔すら覚えられないのですから、テレビに出ている人を生で見たって認識できないのは当たり前なんです。

もともと知らないというのもあるけど、知ってるアナウンサーが目の前を通ってもやっぱりワカラナイ。

 

こんな感じで、番組も知らなければタレントさんもお笑い芸人もサッパリなわたしです。

子どももいないので、子供向け番組もキャラクターもわかりません。

ポケモンピカチュウくらいしかわからないし、ドラえもんの声は大山のぶ代さんの時しか知らない。

 

昔は毎朝新聞を広げ、TV欄を眺めながら「おっ今日はこの番組が見たいから早く家に帰ってこよう」など、見たい番組を軸にしてその日のスケジュールを決めているようなところがありました。

見れないときは録画をすればいいのですが、後からそれを見る時間が意外となかったりするんですよね。

学生の頃はリアルタイムで見ないと翌日のクラスの会話について行けなかったし。

今にして思えば、けっこうTV中心の生活だったかもしれません。

 

今はどうなのかと言うと、インスタやツイッターで「あ、今日この人TVに出るんだ」と情報を得て、興味が湧いたら見るという感じ。仕事などで見れないときはTVerでチェック。

ローラのアナザースカイを見たときもこの流れでした。

 

本当に自分の見たいものを見たときって、感想を日記に書いたりこういうブログに書いたりはするけれど、あまり人には話さない気がします。

自分の感じたことを大切にしたくて、自分の中に収めておきたい感じ。

そう考えると、人とのコミュニケーションのために見る番組と自分の教養のために見る番組はけっこう違うかもしれません。

たしかに、語学番組の内容なんて他人に話したりしないもんな。

 

まとめると、

テレビ番組をコミュニケーションツールとして使わなくなったので、見る番組が減った。

自分の教養や情報のインプットのためだけに見たい番組を選ぶようになったが、そこまで魅力的な番組がないため見なくなった。

 

わたしがテレビを見なくなった大きな理由は、この2つになるのでしょう。

音楽番組も減っちゃいましたしね。


お笑い番組を見てもあまり面白いと思えなくなってしまったのも要因の一つなのですが、これはたぶん自分のお笑いセンスが古くなっているんだと思います。

全盛期のダウンタウン笑点のような、ブラックジョークというか風刺が効いてるというか、ちょっとピリッとしたお笑いがわたしは好みなんですが、昨今のお笑いは以前よりマイルドでシンプルなものが増えた気がします。なかやまきんに君の「パワー!」なんて、誰も傷つかず実に平和ですものね。

きっとこれも時代の流れというやつなのでしょう。

 

とは言え、たまにテレビを流しっぱなしにしていると今まで興味のなかった分野が取り上げられていたりして、新たな好奇心の扉が開くこともあります。

自分の世界を狭くしたくないので、こういうことも時には必要かな。

 

感謝日記

今日も自然の中でウォーキングができた。
キャンプギアのお手入れをしてスッキリ。
ピアノの練習ができた。

忙しいのはいいことだけど

ここ2週間、仕事やその他諸々で久々に多忙な日々を過ごしました。

こんなに寝不足になったのはどれくらいぶりだろう。

さらに、この寝不足の合間を縫うように職場で退職や派遣切りの話が続けざまに起こり、明日は我が身と皆に緊張が走る中で仕事をする毎日。

プライベートでも、葬儀や結婚式などの観光葬祭が立て続けにあったため非常に気疲れしました。

逃げ場がないというか息をつく暇がないというか、家にいても職場へ行っても落ち着かない状況だったように思います。

 

そうなると、自分で決めたこととは言え、というか、自分で自分の首を絞めているような気もしながら夜な夜なパソコン向かって副業をしているうち、時折「キーっ」と全てを投げ出したくなります。

 

そんな時は諸先輩方のエピソードで自分を励ますのがいちばん。

大好きで日参しているWeb漫画家さん、人間まおさんという方もお手本のひとりで、
看護師として働きながらも漫画家への夢を捨て切れず、漫画を描くため昼休みも睡眠時間も削って夢中で描き続けたそうです。
その甲斐あって今は専業漫画家としてたくさんのフォロワーに慕われています。
なんとなくちびまる子ちゃんを彷彿させる、のんきでだらしないエピソードが満載で肩の力が抜けるのでオススメですよ。

 

そういう先人の経験を読むと、やっぱり自分に多少のストレスをかけないと山の向こうへは行けないのだなと感じます。

キツイことはキツイけど、自分の夢のためだし決断したのも自分。やるっきゃない。

そうこうするうちなんとかひと段落ついたわけですが、この間に気づいたことがいろいろあります。

まず、他人のことが一切どうでもよくなります。

元々他人への関心は薄い方なのですが、さらに輪をかけてどうでもよくなる。

職場で誰かが誰かの愚痴を吐いても右から左へスルー。

偶然会った友人が誰かの噂話をしても見事にスルー。

もうね、そんなことのためにワーキングメモリを使う余裕は微塵もないのですよ。

若い時ならいざ知らず、40代は脳を大切に使わないとすぐ容量がいっぱいになっちゃう。

この時のわたしの頭の中の順位は、1位から3位まで仕事・仕事・仕事のワーカホリック

 

そうなると今度は、仕事から帰った男性が彼女や奥さんの世間話に上の空な理由も分かってきます。

「その話には一体幾らの価値があるんだ?!」ってなりますよね。

だったらもっと有益なことに脳みそ使いたくなりますもん。

今の自分の思考やアイデアが将来ウン十万円の価値を持つようになる可能性を秘めているなら、そっちを優先した方が建設的。

 

こういうことが理解できたのは、自分としてはかなりの収穫でした。

仕事帰りの夫に話すことがますますなくなった(笑)。

 

もちろん、この状態がずっと続くのはよろしくありません。

インプットが全くできない。読書する暇もないし瞑想の時間も取れない。

自分が枯渇していくのを肌で感じます。

ある程度仕事に熱中したら、インターバルは必ず取らないと燃え尽きてしまいますね。

 

さて、仕事面はちょっと落ち着いたのでこれからは自分を養います。

職を失う可能性が大きくなってきたので、その不安に押しつぶされないよう対策しようと思います。

成功したらまたシェアさせてくださいね。

 

感謝日記

楽しく仕事ができた。

メルカリが売れた。

同僚に爽やかに挨拶ができた。