30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

こんな風に声をかける人になりたい

かなり長いこと憧れている人がいます。ネット上でね。

ごくごく普通の主婦の方で、わりと近いエリアに住んでおられるようです。

数年前に地元のおしゃれカフェ巡りにハマり、いいお店がないかなぁとネットを調べるとたいていその方のブログがヒットするため、ブックマークしてちょくちょく覗きに行くようになったのがきっかけです。

 

ほんわかした温かい文章と、素敵なカフェの写真。思わず行ってみたくなるような、惹きつけられる記事ばかりです。

 

そんな彼女の最近のブログに、とても感動させられました。

 

亡くなったお母さまの納骨堂へお参りに行ったところ、泣いている女性がいらしたそうです。

静かに「こんにちは」と声をかけて中に入ると、

「ここにはどなたがいらっしゃるんですか?」と話しかけられたんだとか。

「母がいるんです」と答えたことがきっかけで、その泣いていた女性も「わたしはここに娘がいるのだけど、遠方に住んでいるのでなかなか来れないの。」などと色々お話されたようです。

それを聞いたその方は「わたしは家が近くて毎月来ていますから、そのときは娘さんにも手を合わせますね。」とお約束して別れた、というお話でした。

 

すごく心がこもっていて、あったかいなあと胸がじんわり熱くなりました。

きっとその遠方の女性も嬉しかっただろうし、ホッとしたんじゃないかなぁ。

 

同じシチュエーションで、わたしは同じことが言えるだろうか。

ただ通り過ぎてしまうんじゃないかな。

「こんにちは」さえ言えないかもしれない。

 

わたしもこういうことが言える人間になりたいなと思いながら、用事で街の中心部を訪れたある日。

イベント広場で、プラカードを下げた団体さんが講演会をしていました。

募金活動かな?政党の演説かな?と思いながら近づくと、ウクライナでの戦争反対を平和を呼びかけるキャンペーンのようです。

「戦争反対」「平和を取り戻そう」などと書かれたパネルを高々と掲げた高齢者が、日の当たる中で何人も立っていました。

 

無視して通り過ぎる人もいれば立ち止まって聞いている人もいます。

わたしはちょっと興味があるものの時間がなく、どうしたものかとチラチラ見ながら通り過ぎようとしたところ、少し先を歩いていた年配の女性がプラカードを持つ男性に「お疲れ様です。」と声をかけて去って行くのが見えました。

あ、そうか。そうやって声をかければいいのか。

さっそくわたしも真似して「お疲れさまです。」と、軽く会釈をして通り過ぎました。

スルーするよりこちらの方が気分が良いですね。

 

もしかするとその団体さんは宗教から派生したグループかもしれません。

わたしとは信条を別にしているかもしれないけれど、でも戦争を止めてほしいという願いは誰だって同じですよね。

平和を願いながら何もしない人が大半な中で、こうやって何かしらのアクションを起こしていることに対しては、ねぎらいの気持ちを言葉に出したい。

 

ブログの方も、この年配の女性も、普段からやさしい気持ちを持っているのだと思います。

やさしさを口に出すことを躊躇しない姿は、とても素敵ですよね。

 

自分の中にもそういう感情はあるはずなのに、なぜか表に出すことをためらってしまいます。

面倒なことに時間を割きたくないとか、相手から変に思われるかなとか、何かしら理由があるんだろうけど、後から考えると大した理由じゃない。

そしてたいてい、「やっぱり声をかけておけばよかった」って後悔している自分がいるんですよね。

 

少し前にも、職場で同僚がやさしい言葉をかけているシーンを目にして「すごいなぁ」と思ったばかり。

 

そういえば、ここ最近忙しくてココロがギスギスしているかもしれない。

やさしさを忘れかけていたかもしれない。

 

取り戻すために何ができるんだろう。やっぱり瞑想かしら。

 

なんかこう、わたしはどこか理屈っぽいところがあって、脊髄反射のようなやさしさが装備されてないなと思うことがたびたびあります。

やさしさのメカニズムを組み立ててから言葉を出している気がする。

そこに嘘はないんだけど、変に遠回りをするせいか偽善ぽくなるのが自分でもイヤ。

これは生涯努力し続けるべき課題になりそうですね。

 

良い気付きを与えてくれる出来事が起こったことに感謝です。

 

感謝日記
メルカリで高評価をもらえた。
頂き物のケーキがおいしかった。
新しい副業にチャレンジできそう。