インスタで毎日読んでいる漫画「娘が梅毒になりました」。
事実に基づくお話で、綺麗事では済まされないパパ活のリアルが読めると注目されています。
主人公はパパ活を通じて梅毒に感染しさらに妊娠します。過去の過ちを悔いたり、お腹の子のために自分を奮い立たせたりするのですが、毎度毎度コメントが批判で溢れています。
主人公が自身の感染にショックを受けていると「そんなことも予測せずにパパ活やってたなんて考えが甘すぎる」という批判コメントが殺到し、
絶望の淵から這い上がり頑張ろうとすると「現実はそんなもんじゃない。世間知らずにも程がある」とやっぱり叩く。
ついにコメント欄に「どうすればいいの?皆さんそんなに正しい人生を歩んでいるんですか?」という投稿が出てきました。
それを眺めながら「まるで毒母のようだな…」と呟くわたし。
前々から書いていますが毒母も批判が趣味の人。わたしが何をしてもネガティブな発言ばかりです。
毒母を基準に考えますと、もし「そんなに正しい人生を歩んでいるんですか?」と聞かれたら、彼女は間違いなく「はい」と答えます。
親族にも知人にも「わたしは宗教やってますから!この人生が正しいんです!」と宣言しているのを幾度も目にしました。
でも思うんですけど、正しい人生を送っていれば他の人を批判しても良いのでしょうか?
テストで100点取ったって、30点の子をバカにして良い理由になりますか?
世間的にどうであれ、それも母の中ではYESです。自分は何をどれだけバカにしても構わない崇高な存在なのです。
但し、他の優秀な人が批判するのは許しません。
「あの人はいつも人の悪口ばっかりだ!あんなのはダメだ!」
まるで神さまです。
思うに、批判コメントを続ける読者の方々も、口にこそ出さないけれど内心似たようなことを思っているのでしょう。自分は神様のように完璧な生き方をしているのだから、批判コメントが許される。
そんなに正しい人たちがネットに集まっているのならもっと平和で和やかになりそうだけど、相変わらずギスギスですよね。毒母の人間関係もギスギスしています。
でもまあ、闘いの神様というのもいらっしゃいますから、皆さんそういう類なのでしょう。
ちょっと多すぎますけどね。
とにもかくにも、神さま相手じゃこちらはどうしようもありません。
どうして批判コメントがなくならないのか、少し分かった気がします。
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