30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

普通に受け入れてくれる嬉しさ

ひょんなことがきっかけでお知り合いになれたとある女性。

すごく優秀で、少し前にNGO団体を立ち上げ地元の人たちのスキルアップにつながるプロジェクトをどんどん進めている方です。

知識も人脈も豊富なのに決して自慢しない彼女の人柄にとても惹かれました。

 

ある日、帰る方向が同じということでわたしの車に彼女が乗ってきました。

流れで彼女が軽く自分の生い立ちを話し出します。

18歳で両親を亡くし、兄弟もおらず天涯孤独だったこと。

悲しみをごまかすように地元の悪い連中とつるんで夜な夜な遊び歩いていたこと。

お金しか頼れるものがなく、仲間と上京して夢中で働いたけどどこか虚しかったこと。

色んな経験をしたからこそ地元を助けたいという気持ちが強まったのだと語ってくれました。

淡々と掻い摘んで話された内容の裏側には、きっと言葉に出せない苦労が山のようにあるのだろうと察したわたしは、気づけば自分の話を始めていました。

父親がアル中でほぼ毎晩泥酔して帰宅していたこと。酒癖が悪く、帰り道の路上で怒鳴ったり風呂場で騒ぐので近所に声が響いて恥ずかしかったこと。

本当は山のようにエピソードがあるのですが、そこまで話したらもう気持ち悪くてなってきて何も言えなくなり、口をつぐんでしまいました。

すると彼女は、「そうなんだ、ひどいね。地元にもそういう父親いっぱいいたから想像つくよ。子どもたちはみんな苦労してた。」

と、やはり淡々と返してくれました。

 

なんだかそれがすごく嬉しくて。

過剰に驚くわけでもなく、過剰に憐れむわけでもなく、「あり得ない」と疑いもしないければ「そんなの普通だ」と軽視もしない。

普通に受け止めてくれたことがすごく嬉しかったのです。

 

彼女もきっと、たくさんのものを見てきたのでしょう。

出来事だけでなく、人々の反応や感情も、きっとたくさん感じ取ってきたんだと思います。

じゃなきゃ、こんなに普通にスッと受け入れられないんじゃないかな。

 

すごく普通の反応なのに、それをできる人は意外と少ないのが事実です。モラハラ夫はわたしが大袈裟に話していると思い込んで信じませんし、毒母は「わたしの方が大変だった!」と無駄に張り合います。

「そんなことない。お父さんだって本当は家族を愛していたのよ」と無理矢理美談に繋げる人もかなりいますし、何を言っていいか分からず避けようとする人も多い。

 

別に話を捻じ曲げる必要なんかないんです。

「昨日料理してたら包丁で指ケガしちゃった。」と言ったら「うわーそれは痛いね」ってなるじゃないですか。「そんなことあるわけない」とか、「きっと家族のみんなは感謝しながらご飯を食べてくれたはずよ!」という反応はあまりしないはず。

わたしとしてはそういう感覚なんです。でもなかなか理解してもらえない。

特別扱いしてほしいわけでもありません。他の過去を持っていないから、話すとしたらそれしかないだけ。

 

そう言えば漫画「明日、わたしは誰かのカノジョ」にも似たシーンがありましたね。主人公のトラウマに対して色んな反応をする人がいる中で、仕事仲間だけが「普通に」受け入れてくれた。

今ならわかるな、あの主人公の気持ち。

 

改めて彼女を尊敬しました。

そういう人と出会えたことにも感謝ですね。

そして、わたしも普通に受け止められる人になりたい。

改めて気持ちを強くしました。

 

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