「こういう時は何て言うのが正解なんだろう。」
誰しもが一度は通ったことのある疑問。
今読んでる「明日、わたしは誰かのカノジョ」でも考えさせるシーンがありました。
トラウマを持つ主人公に女友達が声をかけるのですが、残念ながらそれがきっかけで主人公は友人と距離を置いてしまう…というシーン。
コメントでは「じゃあ何て声をかけるのが正解なの?」「わたしもそう言ってしまうかもしれない」という意見がたくさん出ていました。
わたしも同じように正解は何だろうとしばし考えていたのですが、そこでふと「NANA」のセリフが脳裏をよぎります。
「そこに思いやりを感じられたら寂しくはない。」
過呼吸に陥ったナナにどんな対応をするのが正解なのか、バンド仲間の男の子が事務所の先輩に相談した時のセリフです。
反応や対処の仕方はそれぞれだけど、そこに思いやりを感じられたら寂しくはない。
わたしの中の正解はそれかなと、心の中でストンと落ちました。
そういえば、かれこれ20年以上前にも似た体験をした記憶があります。
両親の離婚を知った同じ宗教の女性信者さんが近づいてきたときのこと。
「聞いたわよ、大変だったわね。」から始まり、やはり話題は「なぜそんなことに?」という流れに。
口に出せる範囲でモゴモゴ答えていたのですが、おそらくそれではスッキリしなかったのでしょう。
「他に女の人がいた可能性はないの?」
ズバッと切り出されました。が、その時はまだ確証がなかったんですよね。なので結局「あるような、ないような。」と、ますます煮え切らない返事をするわたし。
彼女は「そう。」とため息混じりに言い、さらにこう続けました。
「うちも色々あったけれど、でも夫は“俺は浮気だけは絶対しない”って言ってくれたの。だから何とか乗り越えられたのよね。」
わたしは「はぁ…」としか答えられませんでした。若かったということもありますし、それを聞いたところで1ミリも慰められなかったというのもあります。
でも不思議と腹は立ちませんでした。どこに腹を立てれば良いのか分からないほど斜め上の発言だったというのもありますが、彼女はとにかく悪気がゼロなんです。
そして、ただ悪気がないわけではなく彼女なりにわたしのケアもしてくれました。
幾度となくお茶に誘ってもらったり、家族でBBQをするときに声をかけてくれたり。彼女の家族の中にはわたしと面識のない方々もいましたが、丁寧に優しく紹介してくれて溝が出ないよう配慮してくれたものです。
あの時に関係をスッパリ切らなくて良かったと、後にしみじみ思いました。
こういうのってたぶん、声をかける側と受ける側の両者が少し大人にならないと成立しないと思うんです。
自分は被害者なんだから、相手が正解を言わなければならない。そんな思い込みではきっと関係が崩れてしまいます。
相手のことを思って正解を言ってあげたいけれど、その答えがわからない。
そう感じるのももっともですが、もしかするとその気持ちをストレートに伝えるのが正解なのかもしれません。
上っ面のセリフより、心のこもった不器用な一言の方が人間関係を深くしていくんじゃないかなと思います。
感謝日記
レストランの女性オーナーの対応が嬉しかった
店員さんの接客が爽やかだった
感謝を伝えられて嬉しかった