夫はその場しのぎの嘘をよくつきます。
今と前で言うことが真逆なんてのは日常茶飯事で
、指摘しても「覚えてない」「そんなことは言ってない」と言い訳ばかり。
言い逃れができない時は「そういう意味で言ったんじゃない。」「受け止め方が間違ってる」「そういうお前だって前にこういうことがあった」と、頑として認めません。
もうそういうのに疲れてしまい、数ヶ月前にカウンセリングで相談したところ、「典型的なモラハラですね」ということでした。
以来、自分で書籍やネットを調べモラハラ対策を勉強しているのですが、これがもう面白いくらい夫に当てはまるのです。
モラハラ夫にはオリジナリティがないのでしょうか。まるでクッキーの型のように症状が全部一緒。
その特徴のひとつに「外部の人に理解されない」があります。これは本当にその通りで、夫が嘘をつくことを誰も信じてくれません。
とても外面が良く、外部の人に怒りを露わにすることは決してしないため、「考えすぎじゃない?」「あなたが細かすぎるのよ」「完璧主義は良くないよ」と言われます。
果ては「その程度の嘘なら誰でもつくでしょ。もっと寛容にならなきゃ。」というものも。
同じ宗教の仲間も然りで、「許すことも大事って教典にあるじゃない」「いちいち揉めずに見過ごして平和でいる方が神様も喜ぶのよ」なんて言う人までいます。
一理あるのかもしれないけれど、改善の兆しが見えない小さな嘘をずっと許し続けることに何の意味があるのでしょう?
水面下で積み上がっていく嘘に見て見ぬ振りをして平和を演じることが果たして幸福なのでしょうか?
わたしはどうもそう思えなくて。宗教ではひたすら正直さを教えているのも事実です。何でも白黒つけるわけじゃないけど、あまりに矛盾してない?
人間だからつい嘘をついてしまうことはあります。だからこそ、指摘されたりバレた時には素直に認めて改善に努めるのが宗教心を持つ人の取る行動なのではないでしょうか。
開き直ったり相手を見下したり、あからさまに不機嫌になるのはやっぱり違うと思います。
実際、わたしも自分がついた嘘を後で反省し、日記に書いたり瞑想をしたり、お祈りで神さまに告白したりします。そうやって、次に似た場面に遭遇しても嘘をつかないよう心を戒めているつもりなんです。
自分自身がそう心がけている一方で他人の、しかも家族の嘘を暖かく見過ごすのは難しいものです。夫は宗教組織内でグループリーダーを務めているので、教団で説法を説くこともあります。そして言うんです、「正直でいることは大切です。」ってね。
どの口が言うんだろうと呆れてしまいますが、彼が言うには「自分だって人間なんだから、話してることを完璧に実行できるわけじゃない」と涼しい顔。完璧にしなくても努力する姿勢を見せればいいのでは…?
じゃあさぞかし他人の嘘にも広い心で接してくれるのだろうと思いきや、「君の言ってることは前と全然違う!そういうのを嘘って言うんだ!嘘をつく人間に協力はできない!」と大きな声を出します。
夫の中にある基準がサッパリわかりません。
とりあえず自分は何をやっても構わなくて、わたしは夫の都合よく振る舞うべきなのでしょう。
そう考えると全ての辻褄が合うけれど、こちらとしてはこれっぽっちも楽しくないわけで。
モラハラ対策のいちばんのおすすめは、関わらないことだそうです(笑)。
いやー、それができればどんなにいいか…。
感謝日記
お仕事がひと段落
ピアノの練習ができた
難しい箇所をクリアできて嬉しい