もうずいぶん前から悩んでいたことがあります。
自分も少し関わっている部分もあり、その問題を見聞きするたび腹を立てていて。
それでも、「わたしがトラブルの中心にいるわけじゃないし」とどこか他力本願で、いつも見て見ぬふりをしていました。
ですが、去年あたりから「もしかしてこれはわたしが動かないとダメなやつなのでは…?」と感じることが増えてきまして、
今、岐路に立っています。
その問題に関わることで腹が立つと「もう決めた!訴えてやる」と息巻くものの、時間が経って冷静になると「そこまでしなくても良いかな…」と弱腰になるの繰り返し。
そういう時って、アルゴリズムか何かが働くのでしょうか、動画やネットの記事でやたら「行動しましょう」というのが目につくんですよね。
単に、自分の興味のあるものに目がいくだけなんでしょうけど、でもそれらの内容には心を刺すものがあります。
変に小賢しいとリスクを言い訳として並べ立てて行動しないとか、「あーこれは自分のことだな…」と思うことばかり。
リスクはあります。当然あります。わたしの夢が絶たれるかもしれないし、わたしの自由が奪われてしまうかもしれない。
反面、それでも行動を起こすことで大切な人を守れるかもしれない。そんな可能性も秘めています。
今日見た動画では、適切な時に人と会って助けを求めることが強調されていました。
わたしはこの「人の見極め」が超絶下手くそで、これまでに数々の辛酸を舐めています。
相談を聞くフリをしてただ話のネタが欲しいだけの人とか、
弱みを握られ都合の悪いことをわたしのせいにされたりとか、ロクなことがない。
特に宗教組織はそんな感じで、上層部や幹部などは肩書き重視で中身が伴っていません。
「自分は立場が上だから他人のプライバシーを知る権利がある」と勘違いしている人間が大多数です。
知りたがりのクセに問題解決能力はなく、自分の保身や昇進のため、はたまた自己満足のために他人のネタを欲しがる輩ばかり。
仕方がないです。人手不足だし高齢化が進んでいますから、人格者を選ぶ余裕なんかありません。
特に給料が発生するわけでもないし、宗教上の立場が社会で通用することもありませんから、組織としても無責任に昇進させちゃうんです。
一般社会でうだつの上がらないごく普通の人間が、宗教活動にちょっと熱を入れるだけで小さな権力を手に入れられるのですから、こんなラクな手はありませんよね。
そこそこ若くて体力のある人材を昇進させて自己肯定感を上げると、ますます熱心に活動してくれて布教活動における人件費が浮きますし、さらに彼らをペルソナ化すればそれに憧れて追随する若い信者が増えるという算段。
こんな自分のことしか考えていない幹部に重要な相談なんかしちゃダメだと、今更ながらに気づきました。
つまるところ、何でもかんでも幹部や宗教組織に決めてもらうのではなく、自分で考えて自分で行動し、自分で結論を出すのが大事。
宗教に限らず自分で決断するのは人生のどの局面でも大切なことですけど、臆病者のわたしは逃げたくなってしまうんですよね。
書きながら心の整理がついてきました。
うん、ちゃんと動こう。
とは言え無謀にアクションを起こすわけにもいきませんから、もう少し調査します。
でも、あまりぐずぐず先延ばしにしないよう気をつけなければ。
感謝日記
夫の出張土産が美味しかった。
カフェでひとり時間を過ごせた。
日光浴できた。