身の回りを取り巻く環境にいろいろ変化が起こっています。
昔は何が起こっても大して動揺しませんでした。元々動じない性格というのもあるのですが、それよりも単に繊細さに欠けていたのだと思います。
もっとエゴで、もっと悲劇のヒロインぶってて、もっと毒母の顔色をうかがっていた。
そういうものから解き放たれていくに従って心がやわらかくより繊細になり、周囲への感謝が深まるのと同時に他の人の気持ちも入ってくるようになり、結果、物事が変化すると様々な人のさまざまな感情がドワーッと押し寄せて溺れそうになってしまうのです。
数年前まで体験したことのない感情なので、どこか客観的です。
今までこれに気づかず生きてきたんだな。
それだけ心が細やかになったんだろうな。
へー。
みたいな。
生まれつきこんなだったら、さぞかし生きづらさを感じることでしょう。
もういい年なので、一歩引いて変化を見届けたり上手に使いこなせる工夫をしてみたりと、幾分余裕がある気がします。
ただ、どうしても人間は変化を嫌う生き物のようで、率先して変化の波の先頭には行けない自分もいる。
自分が怖気付いているのもわかる。臆病な自分が間違いなく存在する。
例のごとくメンタリストDaiGoさんの受け売りなのですが、変化したければまず行動を変えるのが良いそうです。
普通はなんとなく「メンタルが変わる→行動が変わる」と考えがちですが、実はこれ逆らしく。
例えば「お金持ちになるとライフスタイルが変わる」のではなく、「お金持ちのライフスタイルを真似ると本当にお金持ちになれる」といった感じです。
「人間性が上がると人間関係が変わる」ではなく、「人間関係を変えると人間性が上がる」。
わたしの場合は「変化を受け入れる人たちの中にいると、変化に順応できるようになる」といったところでしょうか。
ある種本能なので致し方ない面もあるとはいえ、わたしが変化しようとすると、後押ししてくれる人よりも引き止めようとする人の方が多い。そして、引き止めようとする人たちへの感謝や恩義を思うとつい二の足を踏んでしまう。
たぶん、こういうからくり。
冷静に分析してみると、心の奥からふつふつと「ぶっ壊したい…!」という欲望が湧いてくるんですよねぇ(笑)。
慣性の法則とか現状維持とか、わたしの後ろ髪を引っ張るものはバリバリと破壊して次に進みたい。
留まるか進むか選べと言われたら、わたしは進む気持ちの方が強い人間なのでしょう。
ふと日記を読み返してみたら、3年前に願っていたことが今少しずつ現実になっていることに気付きました。
良かった、前に進めているんだ。でもちょっと速度が遅すぎる。もっとスピード感を持って進めたいわ。
書いたり読んだりしているうちに考えがまとまってきたようで、だんだんスッキリしてきました。
文字にするっていいですね。読んでいる方にはなんのこっちゃという内容ですが、ある主婦の独り言だと思って生暖かく読み流してください。
感謝日記
お呼ばれした食事会が楽しかった。
持参したお土産を喜んでもらえて嬉しかった。
初めて入ったレストランが大当たり。