30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

アインシュタインの神さま

YouTubeのおすすめに上がっていたので何となく見てみたら意外と良かったので、今日はそのことをひとつ。

 

アインシュタインが「神という言葉は私にとって全く無意味だ。」と述べたことで無神論者ではないかと人々の間で囁かれていたそうですが、なんとこれを真っ向から「私は無神論者ではない。」と突っぱねたアインシュタイン

一体どういうこと?という疑問に焦点を当てた動画です。

 

結論から言うと、アインシュタインにとっての神は宇宙法則や自然法則といった自然そのものを指し、喜怒哀楽を持つ人格神ではない、ということでした。

研究に研究を重ねた天才だからこそ辿り着ける考え方とも言えますが、実はこれアインシュタインがゼロから生み出した思想ではなく、スピノザという哲学者の影響を大いに受けているのだとか。

 

スピノザが提唱する神についての考え方が、アインシュタインに筋の通った答えを与えてくれたということなんだと思います。

「そうか!これなら確かに辻褄が合う!」みたいな。

 

もちろん、「人間ごときの知恵で辻褄が合うようなものは神と呼べない。人間の理解が及ばない次元の存在こそが神だ。」という考え方もあります。

それはそれでいいのでしょうけど、油断すると「だから深く考えずに宗教を信じていればいい」となってしまい、依存性の高い盲目な信者を量産してしまいます。うちにもたくさんいますけど。

その域まで行くと、素朴な疑問を投げつけるだけでムキになるため話し合いができません。

疑問であって批判ではないのに、勝手に「攻撃されている」と反応し戦闘体制に入るのです。

なぜなら、「辻褄が合わなくても疑問を持たずに信じるのです。」と教えられているため、彼らの脳内では「疑問を持つ=悪」と変換されてしまうから。

懐疑的になることと疑問を持つことは違うのに、彼らの中では同義なんですよね。

そんな教えはどこにもありません。むしろ疑問はちゃんと調べて解消しろという考えです。

もちろん、教義にも未知な部分はあります。感覚としては宇宙や地球や人体に未知の部分があるのに似ていて、とりあえず今分からなくても生きるのに支障ないレベルです。

つまり、自分が幸せに生きる過程で湧く疑問は、答えがあるから思考停止せず調べましょうね、という教え。

なのにそこを深く考えないものだから、「献金は最低◯◯円しなきゃダメ」とかワケの分からんルールを振りかざす輩が出てきてしまうのです。

アインシュタイン的に言えば、自然法則に則っていない考え方、といったところでしょうか。

まあでも、宗教に限らず学校や会社でも謎の規則ってありますよね。ハタから見れば謎や矛盾があるのに、長年そこにいると疑問に感じなくなり他人へ強要したりとか。

きっとそれも自然法則に反しているから抵抗を感じてしまうのだろうし、それでも規則だからと渋々従うためますますストレスがかかるのだと思います。

 

自然や宇宙の流れに反してもロクな結果にならない。なぜなら自然法則は神だから。

 

アインシュタインの言いたかったことが、少し見えたような気がします。

 

感謝日記

久々のドライブが楽しかった。

友人たちとのおしゃべりに花を咲かせてスッキリ。

病床の友人が順調に回復して嬉しい。