自分はツイていると思えば本当に良いことが起こる。
動画や本でこう聞くことが増えた気がします。
単に自分が年を取って、こういうことに目ざとくなっているだけかもしれませんけど。
でもまぁ、悪い話ではありません。
真偽の程はさておき、わたしもどちらかと言えばラッキーな出来事が多い人生だったと思います。
ただ、家庭内が地獄でしたのであまりツイているという実感はなく、どちらかといえば「わたしは家の中で苦しいことが多いから、その代わり外の世界で楽しいことがあるんだ。」という、惜しい考え方をしていました。
この思考がどれくらい残念かと言うと、「今日は学校がすごく楽しかったから、家に帰るときっと嫌なことがあるだろうな。帰りたくないな。」と、脳内でネガティブがフェスを起こすくらい残念。
その日の楽しい思い出が全部台無し。
案の定、家に帰れば父親のタバコの煙が立ち込めていてまるで霧がかかったようだし、それに苛つく毒母はわたしに当たり散らす。
そんな情景を眺めながら、「自分に幸せは似合わないな。これくらいがちょうど良いや」と諦めの境地に至る。
これを毎日のように繰り返すと、楽しい思いをすることが怖くなってしまうんですよね。
「どうせまた地獄に突き落とされるなら、あまり幸せにしないでほしい」とさえ願うようになります。
もったいない。実にもったいない。
家の中でも外でも遠慮なく幸せになって良いはずなのに、どこかで不幸にならないと帳尻が合わない。
そう思い込むこと数十年、やっと最近その呪いが解け始めてきました。
冒頭に述べた、自分はツイてるという考え方に触れたのがきっかけではあるんですが、でもそれだけではありません。
ここで毎日綴っている感謝日記も大きく影響していると思います。
日記を書き始めた6年前は、とにかく毎日グチ三昧。読み返すのも億劫になるぐらい長編の愚痴がズラズラ。
その後、3行ほどの感謝日記を描くようになり、なんとなく意識の中で「幸せな出来事って毎日あるんだな。毒親の被害より楽しいことの方が多いかもしれない」と考えるようになり、遂には「そっか、わたしツイてるんだ」という結論に至る。
そこでまた過去の振り返り。
あんなこと普通起きないよな、あれは不幸中の幸いだったな、よく考えたらあれもこれも…といった具合です。
これが定着すると、良いことが起こった瞬間に「これって運がいい!」とすぐに反応できるようになります。即座にハッピーになれるって、なんかいいですよね。
わたしの友人でこれを実に自然にやってのける人がいます。
わたしだったら見過ごしてしまうような小さな出来事にも、「良かった〜今日はツイてるわー」ってすぐ口に出す。
お店の人がちょっとオマケしてくれたとか、会いたい人にタイミング良く会えたとか、そういうことならまだ分かるんですが、
「来週期限切れになるポイントのことを急に思い出してさ、さっき買い物で使って安くなったよ。危なかったーツイてるわー」と、ポイントのことまで自分の運に巻き込んじゃう。
確かに貯めたポイントが使わずに消えてしまうのは悲しいけれど、「それを食い止めたのはツイている」という発想になったことがなかったので、聞いた時は内心「すごいな」と感心したのを今でも覚えています。
今なら少し、彼女の心理がわかるかも。
この友人は自尊心というか自己肯定感も愉快なくらい高い人で、「なんだか最近すっごく冴えててさ、勘がめちゃくちゃ当たるんだよね」と言うので、「そうなの?例えば今はどんな勘が働いてるの?」と聞くと色々教えてくれたのですが全てハズレました(笑)。それでも全然めげずに今も何かしらの勘を働かせていますしなんだか楽しそうです。
育った環境がまるっきり違うので真似をするのは無理がありますが、こういう人が近くにいてくれるのは頼もしいです。友達でいてくれてありがたいなって思います。
いつか影響されてわたしも勘が働くようにならないかな。
不器用なわたしはここまで来るのに何年もかかってしまいました。
もっと早く変化する方法はなかったのかと悔やむ時もありますが、でも変わらないよりはずっとずっとマシ。
そして、ほんの少しずつではありますが、良いことも起き始めています。
少し前から時給アップの相談をしようか、それとも別の職を探そうか悩んでいたのですが、ある日突然特別手当が支給されるとのお知らせを頂きびっくりしました。
これは、ツイてると思って間違いないよね?
こんな風に、事の大小に関わらずハッピーになれる体質を目指して、これからもツイてる出来事を楽しみに待ちたいと思います。
感謝日記
お弁当が美味しく作れた。
欲しかったスキンケア用品が安く買えた
行きたかったお店にやっと行けた