30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

暴力だけを虐待と呼ぶのではない

Xで、「道路に飛び出し危うく轢かれそうになった子どもを親が平手打ちして叱っていた。」という投稿に対し、虐待だというコメントや躾だという意見で盛り上がっていました。

 

わたしは何とも言えません。

 

確かに暴力は虐待の一部ですが、「そこに筋が通っているか」も判断基準になると思うのです。

後日、もし他の子が同じような危険に出くわしたとき親が平然としていたら、「どうしてあの時あんなに怒ったんだろう?」と子どもが感じるかもしれません。

あれは本当に危険だったから怒られたのか?それとも他の理由があったのか?と、混乱させてしまうと思うのです。

 

実際わたしの毒母は矛盾だらけで、わたしは常に混乱していました。

同じ失敗をしても、わたしは怒られて兄弟は怒られない。

同じことを言っても、わたしは怒られるのに従兄弟は怒られない。

同じ服を着ていても、わたしは「丈が短い!」と怒られるのに友達には「似合うわねぇ」と褒めちぎる。

最終的に、わたしが彼氏と電話してることには激怒しながら自分は夜な夜な不倫相手と電話をしていました。

 

わたしのためと言うより、憂さ晴らしのために叱っていたんだと気づいたのはずいぶん後になってからです。

正邪の基準はその日の気分。口癖は「わたしがいいって言ってるんだからいいんだ!」

でも周囲には「わたしは全然自分に自信がないの。落ち込んでばかりよ〜」と言いふらし、何も分かっていない信者仲間は「謙虚なのねぇ」と褒める。

 

70歳を優に超えてもピンピンしているのは好き放題やってるからだろうなとつくづく思います。こういう人間は長生きするんでしょうね。

 

指摘しても証拠を見せても絶対に認めず、言い訳したり記憶をすり替えたりします。なので解決することはありません。平気で嘘をつくので外部に知られることもありません。

こういう種類の虐待が世界中に溢れているのだろうなと思います。辛いですね。

 

平手打ちのワンシーンだけを見て、というか読んだだけであれこれ意見を言える人は、この卑劣なタイプの虐待をご存知ないのではないでしょうか。

虐待は時間と共に流れて継続しています。確実に起きた過去の出来事を捻じ曲げてぐちゃぐちゃにし、自分の都合の良いように作り替え悦に浸る。過去の記憶も事実も踏みにじられてボロボロになった被害者の自尊心なんか気になりません。知ったところで何も感じません。「お母さんは気分がいいんだからそれでいいじゃない。」でおしまい。

 

そういう虐待も、あるんです。

投稿を読んでそんなことを思ってしまいました。

考えすぎですね、いけないいけない。

 

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