30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

お守りとお参りと宗教

YouTubeで色々な動画を見ていると、皆さんお守りを買ったりお参りをしたりするシーンをよく見ます。

神社や仏閣を始めとして、海外の教会の近くで売られているメダイを買ったり先住民のお守りを買ったりちょっとした儀式を体験したり。

なんだかんだで神頼みな一面って、きっと誰しもが持っているのかもしれません。

 

そういう感覚は科学的にも正しいようで、自分を超越した大自然のパワーを感じることで等身大の自分を客観視できたり、逆に自分を超えた力を発揮できたりするのだとか。

 

「俺がこの家の神だ!」と喚きながら酒を浴びるように飲んでいた実父の姿を思い出すたび、その感覚は大事だなと思います。

 

でも宗教に嫌悪感を示す日本人は多いですよね。

どうしてかなぁと考えてみたのですが、日本における宗教は、どちらかと言えばサークルや団体に近い存在になっているからかもしれません。

 

東南アジアをウロついていたとき、どの国でも宗教はしっかり根ざしていましたが個々の度合いは人それぞれでした。のめり込んで食生活をゴリゴリのビーガンに変えた人もいれば戒律で禁じられている酒を飲む人もいて、ほんと、自分の心と神さまの結びつきという感じ。

 

対して日本は神様の目より信者の目や評判を気にしている人が大多数です。少なくともわたしのいる宗教はそうかな。

実践なんかしないし裏では嘘をついたり騙したり裏切ったり平気でやってます。イジメも普通にあるけれど、誰も声をあげません。下手に問題視すると「私たちの宗教でそんなこと起こるわけがないでしょう。むしろあなたがトラブルメーカーだわ」と、謀反者扱いされるのが関の山。

悪目立ちしないように、いい人のフリをして生きるのが宗教になってしまっています。

 

性格がどうあれ、毎週の説法を聞きに来たりお布施をしっかりする人が「良い信徒」になってしまう。そんな仕組みです。

上っ面だけで作り物の笑顔を浮かべて活動している集団を気味悪いと思うのは当然のことですから、結果、多くの人から避けられているのだろうなと思います。

 

宗教に限らず、オンラインサロンでも何かのサークルでも、人が集まるとそうなりがちなのかもしれませんね。

 

ちなみにうちの毒母は集団の中にいないと何もできない人で、毎回活動に出かけては「今日は◯◯さんがいなかった」「最近AさんはBさんとしか活動していない」と、活動の内容より他人の同行ばかり情報収集しています。

こういう人が宗教にハマりやすいんでしょうね。

 

ひとりでも行動できる人

ひとりでも立っていられる人

そういう人にわたしはなりたいし、その上で神さまの存在を認め奢らないようにしたいものです。

 

感謝日記

学びがあった日

しっかり休養できた

いい病院を見つけた