ずいぶん昔、わたしがまだ20代前半くらいだった頃。
短期のバイト先のメンバーの間で「上京したことがある・ない」という話になりました。
数人は上京経験があり、そこからさらに盛り上がります。
ある男性は「上京したのはいいけれど、田舎とは人の種類が違いすぎて。よく河原でビール飲みながら『これが東京か…』なんて呟いてたな。」と言い、若い女の子は「人がすっごく多くてすれ違う時が怖かった。肩がぶつかってもみんな無言で通り過ぎるし。」
それを聞いていたのは、たまたな東京本社からきたマネージャー。うんうんと頷きながら「東京の人は冷たいよ。俺こうやって地方に来るとホッとするわ。」
なんとなく全体の雰囲気が「東京は冷たくて怖い場所」で一致し始めた頃,少し年上の女性が口を開き、
「えーそう?わたし東京にいた頃は人が冷たいなんて全然思わなかった。」とバッサリ。
すごいなと素直に感心しました。ここまで傾いた空気を一気にニュートラルに持っていけるこの発言力。
彼女のライフスタイルは世の一般女性よりかなり自由で、当時はハマっていたサーフィン中心の生活を送るため定職につかず短期派遣で食い繋ぎ、有給は全て海に使っていると公言していたほど。今の職を選んだのも、「その時の候補の中で一番時給が高かったから。」と見事な割り切りようでした。
そんな彼女の性格もあり、聞いても特に反論しない面々。「そういう意見もあるよね。」という空気のまま解散しました。
帰り道、ひとりで先ほどの場面を思い返します。
あれは自分の感想に過ぎなくて、他の人の意見を否定した訳じゃない。だから、場が丸いまま収まってたんだ。
わたしの場合はどうだろう。他の人を否定するわけじゃないのに、自分の考えを述べると毒母の逆鱗に触れてしまう…。
毒母は自分と意見の違う人を受け入れることができずボロクソに言います。
しかも、その場で論破する勇気はないので家に戻ってからネチネチと悪口を言うのです。
わたしに関しても同様で、わたしが意見を変えるまで徹底的に家の中で批判と非難の嵐を浴びせるのが通例でした。
20年以上そんな家庭で過ごしたわたしには、あのサーファーの彼女がとても眩しく写ります。わたしもああなりたい。自分の意見を言いたいし、自分と違う意見に目くじら立てない人になりたい。
あれからずいぶん時が経ちました。いくらか理想に近づけているでしょうか。
当時は自分と毒母の所属する宗教コミュニティしか知らず、そのほとんどが右に倣えの意見ばかり言う人で、発言によって目立つことは許されなかったしいじめの対象になっていました。
でも観察してみると、宗教に限らず時折そのような場はありますね。職場だったり町内会だったり。
やはり、自分の軸を持つことが大事なのだと思います。
流されない自分を少しずつ作り上げてきた結果、昔よりかなりマシな環境になりました。
毒母は相変わらずだけど、周囲が相手にしなくなってきています。時代の変化ですかね。
意見を異にするのは間違ったことではないと思います。
「うん、そういう考えもあるね。」
そう言える人でありたいものです。
感謝日記
親切な職場の仲間に感謝
お弁当を美味しく作れた