「とにかくまずはやってみる」
最近よく見るユーチューバーさんたちが口を揃えてそうおっしゃいます。
昔からよく聞いていた言葉だけれど、最近それが妙に胸に刺さる。
たぶんそれは、徐々に挑戦しなくなってきたから。
思えばわたしは挑戦ばかりしていて、18歳で自営業を始めてみたり観光ビザで長期海外滞在してみたりと、我ながら無茶な人生を過ごしている気がします。
原動力になっているのは、おそらく毒親からの脱出。
毒母の言いなりの人生になど絶対ならない、そんな決意がわたしを動かしてきたのかもしれません。
若い時はあまり知恵がなく、その挑戦は何度も失敗しましたけれど。
それでも前に進み続けることで、最終的にはかなりの自由を手に入れました。
そして時は経ち。
コロナ禍の影響で、再び毒母との距離が近くなってしまいました。
嫌で嫌で仕方がないけれど、今はどうしようもない。
その代わり、今できることをして将来に備えよう。
そんな気持ちから、まずは資産の管理と運用について勉強を始めました。
きちんと整理してみると意外に資産があることがわかったし、
ちゃんと勉強して運用すると、わずかではありますが増えていきます。
長らくサボっていたポイント活動も再開。
〇〇ペイなどのQRコード決済や、所持しているクレジットカードをうまく活用するとお得に買い物ができます。
もうしばらく定価で物は買っていない気がする。
たまに、「スーパーを3軒回って特売品を買った」と自慢げに話す方にお会いしますが、そういう人に限って現金派だったりするんですよね。
「この決済方法なら、その特売と同じ割引率で買い物ができますよ」と教えてもやらない。行動できないんです。
スーパーを3軒回るという習慣から抜け出せない。どんなに疲れても改善できない。
それはやっぱり、行動する力、挑戦する力が衰えているからに他なりません。
もったいないなとは思うけど、それがその人の決定なので仕方がない。
そうやって小さな挑戦をひとつひとつ積み上げ、さらにもう一段上へと挑戦しようとしています。
今まで踏み込んだことのない世界に、1歩進んでみることにしました。
昨日その手続きをしたんですけど、どうなるかな。
良い結果が出なくてもいいや、という気構えです。これはあくまで最初の1歩なので、また挑戦すれば良いだけのこと。
壁をひとつ乗り越えた実感が自分の中に確かにあります。
この自信をコツコツと蓄え、近い将来再び毒母からの自由を勝ち得る予定です。
絶対に見捨てます。看取りません。
わたしは自分の信仰を持っており、それをベースにして自分と毒親の関係についてとことん調べました。その間約5年。
その末、自分の親は間違いなく毒親であること、自分は言葉の暴力という虐待を受けながら育ったこと、そして皮肉なことに毒母が盲信している神様は虐待を絶対に許さないことを理解しました。
神さまが許していない人間を、こちらが許す必要なんてありませんよね。
毒親がこの先ひとりぼっちで孤独を感じるとしても、それは因果応報、自業自得。
もしも万が一改心することがあったとしても、だからと言って過去の暴言の事実が消えるわけではありません。自分の尻ぬぐいは自分でやってもらいましょう。
わたしはこう考えてスッキリしましたけど、そうではない方もたくさんいます。
同じ信者仲間でも調べ方が中途半端なため、「あんな親でも許すのが愛情だから。神様の命令だから」と言って不必要に毒親との距離を縮め、また自らの心を傷つける負のループに陥っている人のなんと多いことか。
きっと信じているものがない方も同様のストレスを抱えていると思います。
尊敬している会社の上司や学校の先生、教授が毒親に対して理解のない発言をすることってあるんじゃないでしょうか。
「そんなことないよ。お母さんはキミのことを大切に考えているよ。」
「親子関係は切れないんだから、最終的に面倒を見なきゃいけないのはキミだよ。」
「何があっても親は大切にしなきゃいけないよ。」
立派だなと思っている人からのこういう言葉に、悩まされたりがっかりさせられたりしている人はきっと多い。つらいですよね。
でも、これはホント声を大にして言いたいんだけど。
あなたが信じるかどうかにかかわりなく、神さまはあなたの味方です。
あなたが親を嫌いになっても見捨てても、神さまはあなたの味方です。
この「神さま」の部分は、ハイヤーセルフとか高次の存在とか、まあ何でもいいんですけど、とにかく人類を超えた何かが味方になってくれてるんだから、心置きなく毒親を嫌いになりなさいってことです。
そうすると、「だったらどうして助けに来てくれないんだよ」ってツッコミたくなるんですが、それは神頼みという別の話になるので今は脇に置いておきますね。
とにもかくにも、自分は毒親を許さなくていいし、見捨てるための行動を起こしていいんだと思うことでわたしは気持ちが相当軽くなりました。
行動する1歩。歩幅なんか人それぞれなので誰かと比べる必要はないです。
自分の中で1歩だと思えればいいんじゃないでしょうか。
行動する力、もっと身に着けたいです。
感謝日記
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