30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

曲がった木

面白い記事を見つけました。

 

https://en.as.com/latest_news/zhuangzi-chinese-philosopher-a-crooked-tree-lives-its-own-life-but-a-straight-one-becomes-wood-f202603-n/?outputType=amp

 

記事の中の荘子の言葉を日本語にすると「曲がった木は、その曲がりゆえに長く生きる。真っ直ぐな木は、材木にされてしまう。」みたいな感じでしょうか。

日本人は真っ直ぐでありたい人が多いように見えます。もちろん他の国にも大勢いますが、割合で考えると日本人に多く見られる傾向かなと。

真っ直ぐな木になって、会社や社会で有用な材料になることが美徳という価値観があるのだと思います。そして、誰よりも背の高い真っ直ぐな木を目指すくせに、伸びるスピードがあまりに早いと打たれるのです。生きにくくて当然です。

わたしは割と曲がりくねっている自覚があるものの、それでもやっぱり落ち込むことはあります。

会社で多くの人に声がかかるプロジェクトでわたしが外されたり、宗教組織でもわたしだけ除外されるイベントがよくあったりします。

どうしてかなと思っていましたが、この記事でストンと腑に落ちました。真っ直ぐじゃないから組織として使いにくいんですね。

ならば、これからも曲がりは直さず自由にやっていくしかなさそうです。自分のやりたいこと、ワクワクすること、おかしいと感じることを発信したいし取り入れたい。自分のペースを大事にしたい。

「みんながやっているから」もしくは「誰もやっていないから」何かをしたいのではなく、自分がやりたいからやる。この軸をブラさずに保つことが、曲がった木として伸び伸びできる秘訣なのかも。

歴史に名を残す人の言葉には重みがありますね。

気になったので、自分の宗教にも似た考え方があるのか調べてみました。あるにはあるのですが、かなり大枠で捉えられているため日本では見過ごされがちでした。敢えて見ようとせず、宗教組織内で真っ直ぐ生きるよう教理をやや捻じ曲げているようにも見えます。これは良くない。

本来、真っ直ぐでも曲がっていても受け入れる宗教です。曲がったものを無理に真っ直ぐに矯正しない宗教です。おそらくどこの宗教もそうだと思いますが、団塊世代やバブル世代がその自由を乱用したため、宗教2世が日本で何かと話題になっているのかも。

曲がった木が伸び伸びできる環境を作りたい。せめてわたしの周囲だけでもそうできたらなと、記事を読んで感じました。