30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

実際のところわたしは運が良い方だと思います。

脳科学者、中野信子さんによると、そう思えるかどうかが大事なんだとか。

現実を言えば、良いこともリスクも人には平等に起こるそうで、どちらにフォーカスするかが運の明暗を分けるということのようです。

以前は自分のことを運のない人間だと思っていました。宗教的に言えば、神さまに見放されている状態です。

支配的な毒母が、わたしに起こる良いことや悪いことまで「これは神さまからのご褒美よ。」「それはアンタの勘違い。神さまはそんなご褒美はくれない」と逐一ジャッジしていた影響だと思います。

毒母は非常に嫉妬の強い人間ですので、わたしに起こる良いことも、母親を超えない程度にコントロールされていたように思います。

「アンタよりお母さんの方が神さまに好かれてるんだから!」

「神さまはアンタよりお母さんの味方なんだから!」

「お母さんより良いことがアンタに起こるわけがない!」

自立して実家を出てようやく自分自身の運に気づくようになりました。社会に出て、上司や同僚から「運のいい人だね」と言われるたびに「これがそうなの?」と感じたものです。

日常の小さな奇跡を運の良さと捉え感謝する大切さを学んだのはそれからずいぶん後のことですが、その第一歩は社会が教えてくれました。

宗教を持っているおかげか、一度意識すると運の良さに着目しやすくなり、小さな運の積み重ねがやがて大きな実を結ぶのを実感できます。地道に信心している方は似た体験をしますが、毒母は欲深いので小さな運の良さに気づきません。モラハラ夫も同じく、分かりやすいメリットにしか目が向かない人間でいつも批判とマウントを繰り返しています。

宗教の教えをどう使うかで運の良さに差が出るのは面白い現象です。

わたしはこれからも運の良い人間でありたい。そのためにも感謝を忘れたくはありません。