ありがたいことに、職場でわたしの人間性を褒めてもらえることが時々あります。
「いつもニコニコしていて接客態度がいいね。」
「察しがいいね。」
「優しいね。」
「聞いたことをきちんと答えてくれて分かりやすいわ。」
今でこそ、素直に受け止め感謝できるようになりましたが昔は違いました。
まっさきに「どうしてそんなこと言われるんだろう?わたしはそんな人間じゃないのに。」と疑問に思っていたものです。
なぜなら毒母が下すわたしの評価が
「いっつも機嫌が悪そうな顔してて怖い」
「気が利かない」
「意地悪」
「ズバズバと言い過ぎてみんなに嫌われる話し方」
と、真逆のものばかりだったからです。
さらに毒母と仲の良い宗教仲間もわたしに同様の評価をし、それを他の人にも言いふらしていました。依存傾向の強い信者はネガティブな噂話を鵜呑みにする傾向が強いため、一時期は悪役キャラのような扱いを受けていたことも。
仕事の話をしていたある時のこと。
「派遣の契約が延長になったよ。」と話すと「なぜ?」と聞かれたので、
「お客さんへの態度や話し方が優しいからだって。」と答えたところ、
「あははは!本当は全然優しくないのにね〜!」と爆笑されてしまいました。
自分を偽ったり演じたりして接客していたつもりは微塵もなかったので、これには驚きました。
誠意をもって接客していましたし、よほどのクレーマー以外でお客さまの悪口も言ったことはありません。と言うか、ひとつひとつの接客を誠意を持って行うことで後腐れなくその日の仕事を終えることができましたし、それが良い評価に繋がったはずです。
そんなわたしの勤務態度を見たことさえない人に「本当は違う」と言われたのがとても不思議でした。
無自覚のうちに職場と宗教組織内で人格を変えているのだろうか。職場で無意識に自分を装っているのだろうかとしばし悩み、その頃から「自然体の自分でありたい」と願うようになりました。
今までも自然に振る舞っているつもりだったけど、本当は違うのかもしれない。どこかにバイアスがかかって完璧な自分を演じているのかもしれない。
DaiGoさんの動画を見たり、「セルフコンパッション」という本で自分と向き合うセラピーを試したり、日記を書いたりブレインダンプをしてみたり。自分と向き合うための様々な方法を試した結果、職場でも宗教内でもその他のコミュニティでも、少しずつ自分に負荷をかけていたことに気がつきました。
装ったり演じたりしない、自分の好きなものは好きだし、笑顔になれない時は素直に「疲れた」と口に出す。これが徐々にできるようになりました。
ですが。
不思議なことに職場での評価は以前と変わらなかったのです。
そしてさらに、宗教組織内でも同様の評価をしてくれる人が徐々に増えていきました。特に海外が顕著で、フィリピン人やシンガポール人の信者さんたちから「もうこっちに住んじゃえば?」とお誘いが。
一方で、毒母とその周辺の人からは真逆の評価が続きました。時には毒母から「アンタの発言が嫌いな人だっているんだからねッ」と勝ち誇ったように言われた事も幾度かありますし、「お客さんは怖がってるんじゃない?」と、職場に来た事もない信者さんから言われたこともあります。
評価がどんどん乖離し二分化していく理由が本当に分からなかったのですが、自己愛性パーソナリティ障害について書かれたブログを読みやっと合点がいきました。
周囲の顔色を窺い、長いものに巻かれて自分の意見や性格をコロコロ変える彼らにとって、自分軸を持ち自然体で生きる人間は忌まわしい存在なのだそうです。自分と同じ行動を取らないことに苛立ちを感じ攻撃するのだとか。
彼らはひとりで立つことができないため、仲間を増やすべく悪口を言い広めます。似た特性を持つ人は悪口を信じ込み、わたしを悪者にして「自分たちは正しい」と思い込もうとするのです。
やっとストンと心に落ちました。毒母の影響を受けない職場での評価が正確なのだと分かり安堵しました。
心療内科の先生の勧めもあり、毒母から物理的に距離を取って数ヶ月前に引っ越しをしました。
この地域の信者さんたちの中に自己愛性パーソナリティ障害の方はいらっしゃらないらしく、それぞれが自分のペースで動き適度な距離を保っています。わたしにとって居心地の良い空気感です。
なぜ周囲の評価に振り回されてはいけないのか、今ならはっきり分かります。わざと悪い評価をする人が世の中に存在します。悪意の権化と化す人間も一定数います。
そんな人たちの評価に意味はありません。振り回されるだけムダ。
自然体でいられるよう、自分の軸はしっかり持っていたいものです。