30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

心に刺さる言葉

何気ない一言で相手の人生が垣間見えることがあります。

立派なことを言っているようで、印象に残るものが何もないとか

逆に、大して深い話をしたわけでもないのに何年経っても忘れられない言葉だったり。

 

わたしの宗教の幹部クラスのほとんどは既婚者で、会合などがあると妻たちも揃って参加します。

これと言った役職も肩書きもなく単なる奥さんなのですが、平信徒の皆さんは芸能人でも見たかのようにチヤホヤします。

それを嫌がる庶民派の奥さんもいれば、その立場に乗じて高いプライドを持つ人など反応は様々。

経験豊富で貞淑な品の良い妻というスタンスでそこにいますが、口を開けば呆気なくそれが崩れてしまうこともしばしばあります。

 

あるとき、年配のご婦人が奥様に近づき、病気続きで辛いと身の上話を始めました。

奥さんはうんうんと頷きながら聞き、「そうですか。よく頑張りましたね。」と、ぽつり。

年配のご婦人と、横で聞いていたわたしはちょっとフリーズ。

違う、そうじゃない。そうじゃないんだよ。

「頑張りましたね」

などという上から目線のねぎらいの言葉が欲しかったわけじゃないんです。

「それは辛いですよね。」と、同じ目線に立って共感してほしかったんです、そのご婦人は。

少し、残念な気持ちになりました。

 

ご婦人のような病気を患ったことがないから共感ができないという意見もあるのでしょうけど、わたしはそうは思いません。

だいぶ前に読んだ漫画の中で、登校拒否になったクラスメイトを助けるために主人公がこう言っていました。

「俺は学校楽しいしわかんねぇよ。でも、分かろうとすることはできる!」

これが大事なんじゃないかなぁ。

分かろうとする姿勢を見せるだけで、そこに共感を感じられる気がする。

少しだけでいいんです。ほんの少し、こちらに身体を向けてくれるだけでいい。

それすらもせず「頑張りましたね」だと、どうしても距離を感じざるを得ません。

 

分かろうとする姿勢で相槌を打ってくれる人の言葉には重みがあります。

時が経っても色褪せず、再びその言葉を思い出して元気になれることもあるほどです。

立場にはこだわりませんし、むしろ肩書きなどない方が良いと考えているわたしですが、

人の気持ちには寄り添える人間でありたいと思い心掛けています。

簡単じゃないけど、身体を向けて相手の目を見て、相手のことをわかりたいと思います。

 

感謝日記

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