「あなたにはここにいてほしい」
自分が必要とされているって、心地いいですよね。わたしもずうっと長いことそれが正解だと思って生きてきました。
必要とされることで存在意義を見出せる。自分の居場所だと感じる。
でも、数年前から意識が変化して、ありのままの自分を認めたり受け入れたりすることで自己肯定感や自尊心が育ってくると、「自分の居場所は自分で作ればいんじゃね?」という考えがムクムクと頭をもたげてくるようになりました。
必要とされて、周囲の期待に応えることがやり甲斐に繋がっていた時期もあったけど…。
たぶん、その感覚から卒業したんだと思います。
そして今、正直なところを言えば「この人の期待にぜひ応えたい!」と思えるような人物が身の回りにいないっていうのもあります。
かなり減ったとは言え、まだまだわたしの周囲には「自分の思い通りに動く存在がほしい」という支配欲の塊がいます。
その代表格が毒母。自分のプライドや評判を守るためだけにわたしを利用し、自分が幸せでいることがわたしの幸福に繋がると思い込んでる。
「わたしの介護は娘に任せてるっていうと友達が羨ましがるのよね。鼻が高いわ。あんたも幸せでしょう?」と本気で言ってきます。聞くたびに背筋が凍る。
こんな期待に応えたいとはもう思えません。むしろ期待を裏切りたい。
どんなに恨まれても呪われても構わない、わたしは期待に応えたくない。
毒母のみならず姑も同じ考えなのですが、彼らの期待に応えることが自分の幸せにつながるとは到底思えません。
職場でも,そして宗教組織の中でも「あなたが必要だ」と言われることがあります。
中には言われるがままに仕事を引き受けたり、もっと宗教活動にのめり込む人たちもいます。
昔のわたしもそうでした。余分の仕事をどんどん引き受けて、宗教活動もびっちりやって。
でもある瞬間「これあんまり楽しくないかも」と、心がスンッと引くのを感じました。
わたしより仕事の成果が低いのに上の部署に異動する人たちがいる。
わたしよりお弟子さんの数が少ないのに、幹部になって目立っている人たちがいる。
がむしゃらになればなるほど差が開く。
すごく矛盾を感じたときに出会ったのが、ジェフェリー・シェファーの「なぜ人と組織は変われないのか」という本。
組織心理学の本なのですが、目から鱗の連続でした。今までの疑問が全て解けた感じ。
種明かしをした手品に魅力を感じなくなるように、当時の会社も宗教組織も一気に色褪せて見えました。
そして、自分が宗教を持っているのは組織の中で目立ちたいわけでも他人の期待に応えたいからでもなく、人格者になりたいからだ、と原点に立ち返りました。
わたしにとっての人格者とは、コツコツ努力を惜しまず嘘をつかない誠実性の高さと、いつまでも好奇心と挑戦することを止めない解放性の高さ、そして深い愛情を持つ神経症的傾向の低い人。
だけど、組織の中で名だたる立場に就こうと奮闘してる人たちって、苦行に文句を言ったり他人の不幸を喜んだり、小さなことですぐ批判に走ったりしてる。そのくせ人前では立派なことを語るのだからどうも胡散臭いんですよね。
そんな人たちに必要とされても嬉しくないしやり甲斐ないよなー。
好きなことや場所を自分で選ぶ方が充実してるんじゃないかなー。
そんなことを考えるようになりました。
今、再び「あなたが必要」と言われる時期に来て、思考がグルグルしています。
自由を貫いてもいいんだけど、ものすごく尊敬できる人に出会えたら期待に応えたくなるかもしれない。
そうやって心は揺れ動きながら前に進むんでしょうね。
選択したものを後悔のないように組み立てていくのもまた人生。
楽しみながら進んでいきたいものです。
感謝日記
良い食事会だった。
リフォームした友人宅に招待された。
素敵な内装を見せてもらえて勉強になった。