「友達の娘さんが今朝亡くなったの。お悔みをすぐ伝えたいのだけど一緒に行ってくれない?」
その日仕事が休みだったわたしは、溜まっていた家事を片付けてしまおうといつもの休日より少し早起きしていました。おかげでこのメールにもすぐ気づけたし、「いいよ」と即答することもできたわけだけど。
彼女の言う「友達」とは、4,5年前にフィリピンから出稼ぎに来ている女性なのですが、わたしはあまり面識がありません。共通の友人がいるだけで、そのほかのことはあまり知らない。
仲の良い友人の頼みだったし、何よりフィリピンに残した娘を看取れなかったその女性の寂しさを思うと、慰めにかけつける人はひとりでも多い方がいいのだろうなと思い引き受けました。
行きの車の中で詳しい話を教えてくれる友人。
「フィリピンに残した娘さんは13歳なんだけど、生まれつき障害があってね。お医者様からはあまり長くは生きられないだろうと言われていたんですって。
なんとか休みをもらえて会いに行けたのが今年のお盆過ぎだったかな…。
それが最後になっちゃったなんて、悲しすぎるよね。」
「そうね。でもお葬式のために戻ることはできるんでしょう?」
「それがどうも無理みたいなのよ。詳しいことはわたしも分からないからあとで聞いてみるつもり。あ、ここよ、彼女の勤務先。」
着いたのは女性専用のリラクゼーションサロンでした。
決していかがわしい場所ではなく、バリを思わせるダークブラウンの木材で作られた店内にふんわりとお花の良い香りが漂う、こじんまりとしたサロンです。
「娘さんが亡くなった日なのに出勤してるの…?!」
「予約が入っていて休めなかったそうよ。わたしも驚いたんだけど。」
ひそひそと話をしていると、奥からフィリピン人の彼女が驚きと悲しみの入り混じった表情を浮かべて出てきました。
「来てくれたんですか…!遠いのに、アリガトウゴザイマス。」
一緒に出てきた他のスタッフがけげんな表情でこちらを見ていましたが、彼女が事情を説明すると「わかった。こっちの奥のベンチを使うといいわ。他のお客さんのことは気にしなくていいからね。」と手際よく店の奥へ案内してくれました。きっとこの同僚も気の毒に思ってくれたのでしょう。
人目に付かない場所へ移動するなり、フィリピン人の彼女はぽろぽろと涙をこぼし始めました。無言で肩を抱く友人。わたしも目に涙が浮かびます。
「昨日の夜にビデオで話をしました。娘は笑ってました。彼女はしゃべれないけど、ワタシの言うことはわかるんです。スマイル、でした。」
「うん、うん。お母さんの愛が伝わったんだね。」手を握りながら、わたしはそれしか言えませんでした。
「悲しいけれど、でも、娘はもう苦しくないから。痛くないから。」
「そうだね。安らかに眠ってるよね。」
こういうときって、何を言っても正解じゃない気がします。反面、心から出た言葉であればぎこちなくても伝わる気もする。どんなに年を重ねても慣れないシチュエーションだなとつくづく思います。
帰り道。
悲しさと少しの絶望を抱きながらわたしと友人は車で語り合いました。
葬儀のためフィリピンへ戻るのはおそらく無理です。
実は彼女、サロンのオーナーに借金をしており、その返済もあるためほぼ無休で働いているとのことでした。
借金は、台風被害に遭った親族の家の補修代。
地域差もあると思いますが、自然災害が多いフィリピンでは自宅の修繕費を親族間で出し合うという文化があるそうで、それをサロンのオーナーが貸してくれたんだとか。
一見、聞こえの良い話ですが、なんとなくうっすらと闇のニオイもします。
たまにありますよね。カード会社の審査がおりなかったため悪質な会社から借金せざるを得なくなり、膨れ上がった利息を風俗などで搾取されながら返済に明け暮れるっていう話。弁護士事務所の一次受けをしていたとき、そういう電話がたまにありました。
彼女の勤務先は風俗ではないけれど、休みがほとんどもらえなかったり勤務時間外でも掃除や留守番をさせられたり、借金のカタにいいように使われている気がしなくもない。
聞けば彼女は18歳で結婚したものの、相手の浮気で離婚。現在はシングルマザーでふたりの子どもを育てており、フィリピンに残した子どもたちの世話はおばあちゃんがしているんだとか。
もしかすると、学歴や経歴から良いエージェントを紹介してもらえず、やっと見つけた働き口がこのサロンだったのかもしれません。
負の連鎖って、こういうことを言うのかなと思いました。
世界の至る所でこういうことは毎日起きていて、今この瞬間も、子どもを看取れず異国で泣いている母親がたくさんいるに違いない。
中には救いの手を差し伸べてくれる人もいるのだろうけど、それよりも搾取する魔の手のほうがはるかに多い。
どうすることもできない無力なわたしだけど、それでも顔を見るなり喜んでくれた彼女。
「リョウコさん、ですよね。来てくれてほんとうにありがとうございます。」
と、1,2度しか会ったことがないのに名前まで憶えていてくれた。
歯がゆさもやるせなさもあるけれど、それでも行けて良かったと思いました。
世界の片鱗を少しだけ垣間見た気がした、ある日の休日の出来事でした。