美味しんぼのセリフだったかな?
「食べたい時にトンカツ食えるくらいが、えら過ぎもしない、貧乏過ぎもしない、ちょうどいいってことなんだ。」
わかる気がします。
現代ですと、ユニクロの服を迷わず買えるくらいのお金があればいいみたいなツイートをしている方もいました。似たような感じですかね。
成長と共に、カツ丼がうな重や回らないお寿司になっていくのだと思います。それはそれでいいんじゃないかな。身の丈に合っていれば。
若い時は清水の舞台から飛び降りる覚悟で食べていたトンカツですが、このくらいの年齢になると割と食べたい時に食べている気がします。
でも、それがふと寂しい時もあったりして。
少し前ですが、ふいにラーメンが食べたくなりました。
夫が仕事の昼休みに同僚と食べたラーメン屋が旨かったそうで、それを聞いたのが引き金です。
食べに行こうかどうしようか…。
悩んでしまう原因は、先日の健康診断でお叱りを受けた悪玉コレステロール。
しょっちゅう食べるわけじゃないんだから別に構わないと思いますが、実はその少し前にハンバーガーをランチで食べています。アツアツでサクサクのフレンチフライもたっぷりいただいてしまいました。
加えて、月末は2泊3日の旅行を兼ねて旧い友人に会いに行く約束もあります。
旅といえばご馳走がつきものですから、ご当地の美味しいものをお腹いっぱい食べること間違いなし。
お金の問題というより健康面を気にして葛藤すること数日、不意にある日の夕飯で「そういえば鍋用ラーメンがあるじゃん」と思い出しました。
鍋の〆に入れるやつ。あれならヘルシーじゃない?
豚バラとキャベツのあっさり塩鍋をいただいたあと、〆で麺を入れます。
う〜ん、満足!
ラーメン欲が一気に解消されました。
そこで思ったんです。何も考えず自由に食べたいものを食べる生活もいいけれど、少し不自由を感じたり躊躇するくらいがいいのかもしれないな、と。
食べようと思えば食べられるけど、でもな…ぐらいの方が頭を使って工夫できる気がする。
試行錯誤した上でいただくものってやっぱり美味しいですしね。
毎日それの繰り返しじゃあストレスだけど、やはりトンカツをボーダーラインにして、それより高いものはいったん立ち止まって考える。
ごちそう続きの毎日より、10日後のとっておきのために今は粗食にしておこうとか、シンプルな料理を美味しく食べるにはどんな調理ができるかなど頭を捻るのが日々をより楽しくすると思うし、待ち焦がれたご馳走をより美味しくする気がします。
こういうのは度がすぎるとやっぱりダメで、あまりにケチすぎると「これ1食分で普段の3日分の食費が飛ぶ」などと考えるようになり、せっかくの機会が台無しになってしまいます。
毒母がこのタイプで、親族の会食で「お刺身なんか近所のスーパーでこの半額だ!」などと大声で喋るため、みんな嫌な気持ちになるんですよね。
材料費だけの話ではなく、お店や場の雰囲気だったり上げ膳据え膳でいただけることのありがたみだったり、そういうのを全部ひっくるめた体験に対しての値段じゃないですか。そういう思考ができなくなるんです。
やはりトンカツを遠慮なく食べられるくらいの懐の余裕があった方が、人としての伸び代に期待が持てそうです。
美味しんぼ、全巻を読破したことはないのですが奥が深そうです。
いつかチャンスがあったら読んでみようかな。
感謝日記
接客の良さを評価してもらえた。
メルカリ購入品が予想以上に良かった。
少しずつ秋の気配を感じた。