幼いときから自分の親がオカシイとは薄々感じていたけれど、それを「毒親」という明確な単語で自覚できるようになったのは2016年。
これはいつかnoteに書きたいんだけど、色々なことが起きてかなり精神的に参っていたときに、友人が薦めてくれたスーザン・フォワードの「毒になる親」を読んだのがきっかけです。
その前から「毒親」というワードを目にしていたものの、いまいちピンと来ないというか「うちの親には当てはまらないかな?」くらいなもんで、ウェブの記事や体験談を読んでも心は動きませんでした。
それが、「毒になる親」を読むともう目からウロコ。
どの角度から見ても我が家にいるのはまさに毒親であり、自分の中の矛盾や葛藤の根源がここにあるとハッキリ認識できました。
とは言うものの、そのキツい現実を真正面から捉えるには時間と勇気が必要で。
悲劇のヒロインさながら「わたしって可哀想な家庭環境で生きてきたんだわ…!」と、自分を憐れみながら半生を振り返ることはできても、ただの過去の出来事として「父親にトイレを覗かれたり胸を触られたりした。母親に人前で奴隷と言われたり蹴られたりした。」という事実に向き合うのは決して容易ではありませんでした。
誰かにかわいそうと言ってもらうためでなく、自分で自分の身に起きたことを客観的に見て、
「今までされたり言われたりしてきたことは虐待なんだな。他の誰が認めなくても,わたしはそう判断する。」と結論づける勇気。
そして、その過去を抱えてながら強くなるにはどうしたらいいかを考える。
毒親に奪われたわたしの人生の宝を、どうやったら取り戻せるかを考える。
ここまで来ると「毒になる親」1冊だけでは足りなくて、他にもいろいろな書籍や資料を読みました。
同じく毒親と闘い絶縁した人のブログやウェブ漫画も、そりゃあもう鬼のように読み漁りました。
「わたしも同じこと言われたことある!そうか、ショックを受けるのは間違ってないんだ!」
「母親のこのセリフ、言われるとやっぱり傷つくんだ!」
「あの時に母親がこう言ったのはわたしのためじゃなく保身のためか!」
いやどんだけ親に洗脳されてたんだよって今なら思えますが、「傷つく?!生意気なことを言うな!そんなもんで傷つくのが悪いんだァ!」って言われ続けると脳がバグって傷つかなくなるもんなんですよ。
失った感情を取り戻すこの感覚が面白くて、しばらくは朝から晩までどっぷりハマって読んでました。
今まで誰も共感し合えなかった感情がここで分かち合える。
特にコンタクトを取ったことはないのですが、勝手に親近感を覚えてささやかにいいねだけを押す日々。
ですが、少し前から違和感のようなものを感じるようになりました。
毒親漫画やエッセイを読んだあと、スッキリよりもモヤモヤが残るのです。
忘れかけていた苦味が再び口の中に湧き上がるような。
読み終わると逆にぐったり無気力になっちゃうような。
一体これは何だろうと考えてみました。
思うに、次のステップに進むべき時なのかもしれないな。
記憶を掘り起こし、当時は出せなかった怒りや不安や不満を日記に書くなどして出してきたけれど、そろそろ出し切ってきたのかも。
人間らしい感情をかなり取り戻せた今、次にやるべきはさらなる成長なんじゃないかしら。
そんな思いから、今まで楽しく日参していたサイトへ訪れるペースを少し減らしてみました。
心がだんだん爽やかになります。
感謝とか愛情とか慈しみとか、そういう温かい気持ちが成長してるのがわかる。
昔はさっぱり理解できなかった「癒される」という感覚も手に取るようにわかる。
そうか、こういうものを取り入れるべき段階に来ているのかも。
毒親の毒を発信し続ける方々にケチをつける気はありません。むしろ感謝しています。
でも、わたしはそこから少しずつ卒業するので訪れる頻度は減るでしょう。
また不意に毒針に刺されて気持ちが萎えてしまったら、また寄らせてください。
こんな心境です。
たまに「そんなネガティブなツイートばかりしないで下さい。見ていて暗くなります。」とか、「毒親の話ばかりじゃなく、明るい話も漫画にしてください」などというコメントを目にしますが、それは見ている側でフォローを外すなどして調整するべきだと思います。
以前のわたしが救われたように、発信し続けることで傷が癒える人がいるはずだから。
そういうサイトは傷ついた毒親サバイバーが回復するための通過点なんじゃないかな。
解毒には段階があると思います。
バランスよく情報を取り入れ、蛇口をひねって水の量を調整するように受ける情報の量を調節するのが順調な回復のコツな気もします。
大丈夫、40過ぎたわたしでもここまで解毒出来ているのですから、遅すぎるなんてことはありませんよ。
この記事が毒親に苦しんでいる方のお力になれば幸いです。
感謝日記
読みたい本に出会えた。
ためになる話を聞けた。
苦手だと思っていた同僚と仲良く仕事ができた。