30日間チャレンジブログ

40代主婦が綴る小話。

「着メロ職人になりませんか」

むかしむかし、まだこの世にスマホが存在しておらず、多くの人が二つ折りの携帯電話していた頃。

……違うかも。二つ折りじゃなかったかも。まあいいか。

当時の電話には「着メロ」という機能がありました。
それまでは、着信を知らせる音は「ピピピピピピー」みたいな単調な電子音のみでしたが、それに音階をつけられるようになったのです。

プッシュボタンの1,2,3…にド、レ、ミ…と音が割り振られ、#と*がシャープとフラットだったかな?そのへんあまり覚えてませんけど。

 

最初の頃は単音のみでした。それでもその道のプロというのがいまして、高音と低音を組み合わせて倉木麻衣の歌を作った友達はいつも友人たちからリクエストの嵐でした。

 

時の流れと共に技術も進歩し、単音から3和音、そして16和音へと進化しました。
wikipediaによると最終的には128和音まで行ったようです。わたしはその頃にはもう飽きてしまい、逆に黒電話の音とかにして原点回帰してました。

 

そんなわたしが着メロに最もハマっていたのは16和音の頃だったと思います。

サイトからダウンロードもできたのですが、なんだか物足りなくて自分で楽譜見ながら作ってました。

ちょうどその頃、パソコンでオルゴールメーカーのフリーソフトをダウンロードして好きな曲をオルゴールの音色に変えて遊んでいたので、着メロ作りの操作で困ることはなかったように思います。というか、作ったmidiをwavに変換し、CDに焼いて車で聞いてました。いったいどこでそんな知識を得たのだわたしは。

 

さて、ある日フラリと立ち寄った本屋さんで、デバイス関係の雑誌をパラパラとめくっていたところ、面白そうな着メロサイトを見つけました。

ここなら好みの楽曲があるかもしれないと思いアクセスしてみたのですが、まだ開設して間もなかったのかそれほど曲数はありませんでした。

その代わり投稿が自由にできるようになっていたので、携帯に保存されていた2曲を出すことに。

1曲は忘れてしまいましたが、もう1曲はラジオ体操第一のイントロ。
それまでこの曲の楽譜はほとんど流通しておらず、読者のリクエストでピアノ雑誌にようやく掲載されたのを買ったばかりだったので、嬉しくて着メロまで作ったのを今でも覚えています。

投稿のほとんどがJ-POPだったので、ちょっと変わりダネのわたしの投稿はすぐ管理人さんの目に留まりました。

「これいいですね~」と返信が来て、ダウンロード数もそこそこ伸びていたように思います。

それから数週間後、その管理人さんからまたメール。それは

「うちのサイト専属の着メロ職人になりませんか?」というスカウトでした。

正直、かなり興味があったし面白そうだなーと惹かれるものはあったのですが、
顔も名前も知らない相手と仕事をするというのは、当時まだ一般的ではありませんでした。

さらに、文面からして管理人は男性だったためなんとなく不安もあります。
記憶があいまいなのですが、投稿や連絡のやり取りもサイト上ではなく直接メアドを使っていたような…。今ではちょっと考えられませんけどね。

そして何よりも、まだ実家住みだったわたしにとって、ケータイ1個で小遣い稼ぎをしていることが毒母にバレたら大騒ぎになるのが目に見えており、それが何よりも恐怖でした。

目新しい物が世に出るとそれをネガティブに報道するメディアが多く、「出会い系サイト」「携帯依存」「パケ死」という単語が毎日TVで流れていた時代です。

報道を鵜呑みにした毒母は、わたしが通話以外でケータイを触っていると「何やってる!男にメールしてるのか!見せてみろ!」と半狂乱。

こんな人に着メロ職人なんて通じるわけない…というのが最大の理由で、丁重にお断りしました。

 

ちょっと惜しいことしたなという後悔もあり、その後もサイトを密かに覗いていたのですが、著作権の問題や技術の進歩で投稿サイトは消えてしまい、車のオイル交換や燃費などを記録するメンテナンスサイトへと趣旨を変更していました。

 

あのとき続けていたら、パソコンで音楽を作る技術を学べるようになっていたのかな?なんて、今でも思うことがあります。

ルーパーで音楽を作るのとか、今でも憧れます。

こういうの↓

youtu.be

 

滅多に後悔することのないわたしですが、この着メロ職人のお誘いを断ったことは今でも少し後悔しています。

そしてそれ以来、単なる不安や毒母への恐怖だけで断るのは止めようと思いました。

断るならちゃんと調査をして調べてからでも遅くはないし、引き受けて怪しさを感じたらそこで止めれば被害も最小限で済むわけですし。

飛び込まないとチャンスは掴めませんものね。

 

高校時代の同人誌の表紙のバイトといい着メロ職人といい、
あのとき食らいついていれば違った人生を歩めていたかなという出来事がいろいろあります。

ガッツがなかったんですよね、当時のわたしには。自分をアピールする営業力もなかった。

今から身に着けても遅いかもしれないけれど、

自分を変えるためにも過去の失敗を肥やしにして、明日からも前向きにがんばりましょう。

 

感謝日記
親族の葬儀が滞りなく終了。
久々に会う親族と慰め合えた。
事故なく安全に過ごせて何より。