「人の悪口を言うのは無茶苦茶簡単ですからね。」って。
こういう意見、わたしの若い頃はあまり耳にしなかった気がするんだけど、環境かな?
毒母をはじめ、人の悪口を養分にして生きているような人種ばかりに囲まれていた頃はそんなこと言う人いませんでした。
その中から突出して成長を遂げる人も、他の人がしないような行動で一花咲かせる人もいませんでした。
きっと、思考停止でそこから抜け出す勇気のない人たちが、沼のように溜まっていたのでしょう。
一本筋が通って、他の人と同じレールを歩まず自分の道を着実に成功へと導く人の話や意見を聞ける環境ではなかったんでしょうね。
今はそういう方々がネットを通じて自分の考えを忖度なく述べる時代になってきたので、ようやく庶民のわたしの耳にも入るようになったということでしょうか。
そう考えると、ネットって本当にありがたいですね。
実際、わたしのいる田舎にはいわゆる「一流」の人が少なくて、プロフェッショナルの姿勢や心意気を目にする機会が滅多にありません。
一流にも色々あって、立場はそれなりだけどフタを開ければコネで掴み取ったステイタス、なんて人もいます。
そういうタイプは会話で見分けがつきます。「自分は◯◯さんと知り合いだ。」っていう話ばっかりだもの。
本人もさる事ながら、話に出てくるそれらの人たちももしかすると似た人種なのかもしれません。だとしたら組織自体が微妙ですね。
コネなんてわざわざ口に出すものではないとわたしは考えています。
ピアノの先生仲間のとある方と仲良くさせていただいているのですが、彼女はコネを自ら明るみに出しません。
でも自然とバレちゃうんです。
発表会用のドレスをどうしようか相談したら、「うちにあるのでよければ使って〜」と、クローゼットからドレスを数枚抱えてきました。
どう見てもその辺で買える代物ではないので一体これはどうしたんですかと尋ねたところ、
「東京にいた時、知り合いのピンクハウスの工場長さんが仕立ててくれたのー」とサラリと答えます。
言われてみれば、ディテールが凝ってて大人かわいい雰囲気がピンクハウスっぽいかも。
発表会本番のときも、見知らぬオジサンが来てるなと思ったら、「顔見知りの交響楽団のコンマスの先生が来てくれたのー」とのことでした。
こんな調子で、彼女の生活の中には当たり前のようにプロフェッショナルな方々いるので、イチイチ名前を引っ張り出して自慢する必要がないんです。
そして彼女自身も相当な実力の持ち主。
一緒に組んでお仕事できたのは良い経験だったな、と今でも思います。
彼女の演奏から学べることはたくさんあったけど、それ以上に人柄から学べることが多くありました。
どんなに嫌なことがあっても決して人の悪口を言うことがなく、いつでも前向き。
自分は素晴らしい演奏をするけれど、他の人には完璧を求めない。
それこそ、人の演奏の悪口を言うのは簡単なんです。
誰だってミスはするし、指使いを間違うこともあります。
演奏の粗探しなんて、しようと思えばいくらでも見つかる。
毒母は、人前でわたしにピアノの演奏をさせることがよくありました。
お客さんが家に来ると「何か弾きなさい。」と言われます。
常に人前で弾けるレパートリーを持っていたわけではなかったので、当然間違えます。
するとすかさず「あー間違えた!」と、演奏中に大声でヤジを飛ばすのです。
「また間違えた!ちゃんと弾きな!毎月高い月謝払ってんだから!」
かと言って毒母がピアノを弾けるかというとそうでもなく、易しい童謡を2,3曲弾けるだけ。
演奏で力量を見せるより、人前で批判してわたしを下げる方が簡単ですものね。
こんな経緯で、カズレーサーさんの言うことは的を得ているなと素直に思いました。
人の悪口を言って自分を持ち上げようとするのはすごく簡単。
人を悪く言わず、自分の実力で勝負に出るのはものすごく難しい。
コツコツ積み上げた実力で勝負に挑む一流の人たちは、他人の粗探しをする暇なんかないと思います。そんな時間があるなら自分を鍛えた方がいい。
そして、悪口という作戦で手に入れた地位は長続きしない。中身が空っぽですからね。
悪口を言う人もコネを使う人も、結局は自分のことしか考えていないのでしょう。
だから人間関係を都合よくコマのように使い捨てる。
社会の様々な側面で成功を収めている人は人との絆を大切にします。
立場や損得なしに、純粋に良い関係を築けるようになりたいものです。
そのためにも、わたしも簡単に人の悪口を言わないよう気を付けないとね。
感謝日記
おいしい食パン屋さんを教えてもらった。
仕事で充実感を得られた。
承認欲求について興味深い話を聞けた。