5月31日は世界禁煙デーだったそうですね。
わたしはタバコを吸いませんが父親がヘビースモーカーで、生まれてから25年間、思いっきり受動喫煙していました。
世の中には子どものために禁煙をする親もいるようですが、父親はそういうタイプとは無縁の人だったので、子どもが居ても居なくてもスパスパ好きなだけ吸っていました。
せめて場所を変えてくれれば良かったのですが、子どものために自分が移動するなんてことは彼のプライドが許さなかったのでしょう、茶の間はいつも霧で包まれたロンドンのようでした。行ったことないから知らんけど。
わたしが子どもだった頃は「受動喫煙」という単語があまり一般には知られていなかったと思います。
この受動喫煙が、SIDS、乳幼児突然死症候群の要因となることが指摘されています。
赤ちゃんのそばでタバコを吸うのはやめましょうと呼びかけるお医者様もいらっしゃいます。
こういうのを聞くたび、思い出すエピソードがあります。
わたしがまだ生後5,6か月の頃、夜中に突然高熱を出したそうです。
慌てた両親が救急病院へ連れて行ってくれたそうですが、幸い何事もなく熱は下がり、お医者様は「帰っていいですよ。」と伝えます。
タクシーを呼んで乗り込み、わたしは父親に抱かれていたのですが、一安心したのか父親は車内でタバコを吸い始めました。
(40年以上前はタクシーの車内で喫煙OKだったようです。)
それを見て怒ったのはタクシーの運転手さん。
「アンタ、子どもが熱出して病院に行ったんでしょう?!なんでタバコなんか吸ってんだ、今すぐ消しなさい!」
父親は仏頂面しながら火を消してたわ、「怒られていい気味」と、何年も後になって母親が教えてくれたのですが。
いやいやいやいや、ツッコミどころが多すぎ!
病院に行ったかどうかに関わらず、ふつう赤ちゃん抱っこしながらタバコ吸う?
灰が落ちる危険とか、ないのかな?
そしてやっぱり、病院帰りの子どもの目の前で喫煙はオカシイ。
たぶん「熱が下がったのならもう健康だから吸ってもいい」くらいに考えていたんだと思いますが、だったらこの世に「病み上がり」という言葉は存在しない。
つーか、自分がガンの手術をした後は「俺は病み上がりだぞ!」って威張ってたクセに、何なんでしょうね。
加えて、本来注意をするのは母親じゃないのか?何黙って見てんの?
あまりに不思議で尋ねたことがあるのですが、「注意したってどうせ聞かないわよ」ですって。
ええと、子どもの生死が関わってるんですけど?無理にでも奪って助けようとか思わないのかな?
その出来事から数年後。わたしが小1くらいのとき。
学校でタバコの危険について知ったわたしは、父親に「タバコをやめて」と頼んだことがありました。
返事は「お父さんがいなくなってもいいのか。」
嫌だと答えると「だったらもう2度とそんなことは言うな。」で、終了。
話はそれだけでは終わりません。
その後、父親が「お前がああ言うように仕向けたんだろ!」と母に怒鳴りケンカになったそうです。
当然のようにとばっちりを食らいます。「アンタが余計なこと言ったせいで大変だったんだから!」
悟りますよね。「ああ、このテのお願いはしちゃいけないんだな」って。
でもそれから数年後に、母はこう言うんです。
「お父さんにお酒を止めてって言いなさい!アンタが言わないから酒癖が直らないのよ!!」
もう何がなんだか。酒もタバコも同じだろうが。
そんなこんなで、身体の成長を副流煙と共に過ごしました。
数年前に母親とその話になり「わたしはかなり副流煙を吸ってるから肺がんになるリスク高いんだよね。」と話したら
「あんなの大した量じゃない!わたしの方が年齢が上だからガンになりやすい!!」と謎マウントを取られました。
「アンタもわたしも副流煙を吸ってる期間は同じでしょッ。アンタだけが危ないなんておかしい!」
ちょっと意味が分からない。まさかとは思うけど、大人と子どもは背負うリスクが同じだと思ってる…?
わたしはこういう環境で受動喫煙をして育ちました。
全てが同じだとは言わないけれど、喫煙とSIDSの背景にはこういった事情も多くあるのではないかと思います。
こういう人たちって、子どもが死んでも自分のせいだとは思わないんですよね。
だから今も「赤ちゃんの前でタバコを吸わないで」と警鐘を鳴らし続けているんです。
ゴミの分別や携帯電話のマナーはわりと早く浸透するのに、「赤ちゃんのいるところで喫煙しない」という文化は意外と広がらない。
自宅だと他人の目が気にならないし、タバコの中毒性というのも関係あるのかもしれません。
最後に、成人になってから受動喫煙の影響が出るものの一例として
肺がん、脳卒中、虚血性心疾患などが医療系のサイトで挙げられていました。
今の生活で予防できることもあると思います。
健康を心がけていきたいものです。
感謝日記
プレゼントを喜んでもらえた。
ネットのお仕事が少しずつ軌道に乗ってきた。
友人からのあたたかいメッセージがうれしかった。