「プーチン氏は一体何を考えているんだ」「狂っている」
こんな意見をよく耳にする一方で、
「彼には彼なりの美学や考え方があるのではないか」と話す専門家の方もおられます。
わたしは専門家ではありませんが、毒親を持つ一個人として後者の意見には思わず頷いてしまいました。
我が家の毒母にも1本筋の通った美学があります。それは、
「親は絶対的に正しい。」
というものです。
「親も人間だから間違いを犯す。でも正しい。」
「間違ったことをしても子どもなんかに謝る必要はない。だって親だから。」
昨日と今日で真逆のことを言うこともしばしばですが、
「昨日は昨日、今日は今日。つべこべ言わずに素直に従えばいいんだ!」
という主張をします。
全く理解できませんが、彼女の中では筋道が通っているのです。
たとえそれで子どもを傷つけることがあっても気に留めません。なぜなら、
「そんなことで傷つく方がどうかしてる。そんな軟弱な心ではだめだ。」だからです。
「アンタが強く生きていけるように訓練してやってるんだから感謝しろ。」とも言います。
何をどう理解すれば良いのかまったく見当もつきませんが、たぶんどこの毒親もこんな感じではないでしょうか。もっと酷いケースもありますよね。
家の中ではこの横暴さでもひとたび表へ出るとコロッと態度を変え、理解のある寛容な母親を演じます。
一見するとどこに真実があるのかと困惑しますが、この人の真実はいつも
「今この瞬間、自分が良く見えればそれでいい。」というところにあります。
数年後につじつまの合わないことが出てきても、その時は言い訳や嘘でごまかせば済むので気にしません。
なんとなーく、プーチン氏もこういう類の人間なんじゃないかなぁ。
毒を持つ人間の中にもカースト制度があって、彼は上層階。
家庭内でしか毒を発揮できない我が家の母親なんて最下層のスライム以下って感じがします。
まあ、理解ができたところでわたしはプーチン氏を止めることはできないし、
失われゆく命を取り戻すこともできない。
支援活動への寄付くらいしかお役に立てないのですけど。
そんな歯がゆさと共に思うのは、「毒と戦っている人はこの世界にたくさんいる」ということ。
親の毒とは無縁の生活を送っている人も多いけれど、苦しんでいる人も多い。戦っている人も多い。
わたしたちは、ひとりじゃない。
だから、ひとりで苦しまなくたっていい。
「被害者のままでは主人公になれない」と仰る方がいました。
これを聞いた時、わたしは毒母から精神的に徐々に距離を置き始めていたのでとても勇気づけられました。
逆に、まだ虐待の真っ最中で自分の被害状況を把握できていない人には厳しく聞こえるかもしれません。
親は本当に毒親なのか?
親の主張が理解できないのはなぜ?
自分の意見に親が納得しないのはなぜ?
同じ人間同士なのに話し合いができないのはなぜ?
どうしてうちは他の親子関係と違うの?
誰の意見を聞けばいいの?
自分の意見を通してもいいの?
自分が頑張ればいつか親は変わってくれる?
この葛藤から抜け出せない間は、自分の足で人生を歩むにはまだちょっと早いのかもしれません。
わたしもずっとそうで、毎日が辛くて辛くて、でもいつか正義のヒーローが表れてわたしを助けてくれるはず。神様はどこかで見ていてくれるはず。
そんなことを考えていました。
でも、とある出来事を機に少し見方が変わりまして。
自分が正義のヒーローになれるんじゃないかな?と。
たしかに、正義の味方が颯爽と現れ、わたしを助け毒母を断罪する、昔の水戸黄門のような勧善懲悪の展開だとスッキリするし報われた気がするけれど…。
でも、水戸黄門はあれで終われるけど、毒親はそれじゃ済まない。
改心するどころか復讐に燃えるのが関の山。だってそういう人種なんだもの。
それに、よおく考えたら、毒母が改心したら仲良くしなくちゃいけない。
わたしが望んでいるのは毒親からの自由であって和解ではない。
もう、毒母の毒が抜けても親しくなりたいとは思わないし、謝罪がほしいわけでもない。
切り離したい、ただそれだけ。
そう考えたら、勝ち負けとか説得とかどうでもよくなっちゃって。
周囲からどう思われようと構わないから、わたしは毒親から自由になろう。
自分を解放する正義のヒーローに、自分がなろう。
何十年も虐待され続けて出した結論がそれでした。
毒のある人間には、彼らなりの美学がある。
自分には理解できないけれど、そもそも理解する必要はない。
なぜなら、こちらが理解を示しても、毒のある人たちはわたしたちを理解しようとはしないから。
今はこの考え方で落ち着いています。
この考え方を基に、自分を強く組み立て直しています。
ちなみに、組み立て直すために自分の宗教の知識はあまり活用していません(笑)。
役に立たないわけではないんですが、具体的じゃないので実践までに時間がかかりすぎるんですよね。
そのあたりは、また別の機会に書きたいと思います。
毒のある人間の存在はつらいです。
戦争が一日も早く終わることを願っています。